いまここでどこでもない

I can't give you all that you need ,but I'll give you all I can feel.

Oasis『Heathen Chemistry』と批評を巡る対話

ピッチフォークにとってオアシスというバンドはどういった存在なんだろう?と思いレビューを調べてみたら、ボロカスに貶していて(流石に最初の2枚はある程度評価していましたが)案の定というか何というか。特に1.2点という滅多にない低得点を叩き出した『ヒーザン・ケミストリー』のレビューには、彼ら持ち前のネチネチとした厭味が炸裂していて思わず笑ってしまったのでここでシェアします。ビートルズを目指し挫折したバンドの悲哀と底力が感じられて、僕はそこまで嫌いじゃないです。なんたって、唯一リアルタイムで買ったオアシス作品なので。


Heathen Chemistry/Oasis 2002
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ジェットの件もそうですが本当に性格悪いよなー、こいつら。胸糞悪いだけだったジェットのレビューと違い、架空のインタビューという形式で語られているのは「芸術を批評することは果たして可能なのか?」というテーマであり、これがとても興味深い。アルバムをこき下ろすためにわざわざ設定されたにしては凝りすぎているので、恐らくこのレビューの主題はそちらなのでしょう。訳しながら僕は、舞城王太郎のこんな言葉を思い出したりしました。あなたは、一体どうでしょう?

僕は、それが誰かを殺そうとも、明かりというものはやはり美しく温かく人の心を惹きつけるものだということが伝えたかったのだ。


爆弾の閃光や火事の炎や火山の噴火でも、その恐ろしさとは別に、明かりがあって、それは否定しようもなく綺麗で目を離せなくて何度もみたくなるということは、つまり美というものは倫理とは別のところにあるということ、ただし批評は倫理とともにあることを僕は読む人に分かってほしかったのだ。


人の全身を包む炎を美しいと感じながらも美しいと思わないとき、美しいと感じることも美しいと思わないことも正しいのだ。



Q: So I'm told you have a rather controversial theory about art, is that true?


A: [laughing] Yes, and it's gotten me in quite a bit of trouble.


Q: Could you explain it for us?


A: Well, first of all, it's not the most original of ideas. I actually stole it from Mrs. Hennesey, my fourth grade art teacher. She always used to say that there's no such thing as bad art, which, for many years, I just wrote off as a meaningless self-esteem booster. But the more I've thought about it, the more it makes sense. So nowadays I say All Art is Good Art.


ーあなたのアートに対する考えはかなり賛否両論なものだと耳にしました。自分ではどう思いますか?


「(笑いながら)そうだと思うよ。そのせいで色々揉めたりするし…」


ーそれじゃ、その考えについて説明してもらえますか?


「うん。えーっと、でも最初に言っておくと、これは別に俺が考え出したんじゃなくて、小学四年生の時の美術の先生が言ってたことの受け売りなんだよね。その先生がいつも「悪い芸術なんてこの世にない」って言っていて、俺は長いこと「くだらねーな」と思っていたんだけど、最近その事を考えてみればみるほど、自分の中で腑に落ちてさ。うん、だから、思うんだ。全てのアートは優れたアートだって。」


Q: All art is good art... intriguing.


A: Yeah, it seems like a bold statement, but it's really not that crazy. Any endeavor that strives to be art necessarily involves a certain amount of effort and thought, and thus has meaning regardless of skill level, originality, or audience appreciation. A teenager's doodles in social studies class-- that's fine art. The guy at the bar doing a herky-jerky dance to Billy Joel on the jukebox-- that's modern dance, whether he knows it or not.


Q: So by extension, criticism is irrelevant?


A: That's right. Who is anybody to judge the relative worth of an artistic product? And it's ironic, because by writing a criticism, the critic him- or herself is also making art! [laughing] But criticism is hopelessly subjective, one person's opinion can't possibly take into account how every single person would perceive a given piece. To use a musical example, take the band Journey. Journey is reviled by music critics everywhere, but my brother and I love driving down the coast singing along to "Any Way You Want It" at the top of our lungs. It's all relative.


ー全てのアートは優れたアート、ですか。ふむ。


「そんなの退屈だって思うじゃん、けど特別ぶっ飛んだ話じゃなくて。アートをするには誰だってある程度は努力したり考えたりしなきゃダメだけど、そういった努力はスキルとかオリジナリティとか客の反応とかは関係なくて、俺は全部意味があるもんだと思うわけ。たとえば授業中のガキが書いた落書きもアートだし。居酒屋でビリー・ジョエルの音楽で踊ってるおっさんの踊りはモダンダンスだし。あいつらが気付いてるかは関係ないんだよ。」


ーつまり、批評という行為は無意味だと?


「その通り!芸術作品の相対的な価値を判断できる人なんてこの世にいない。批評することによってその人もまた批評っていうアートを生み出しちゃってるんだ。皮肉だよね(笑)だけど批評なんて絶望的に主観だから、ある一人の視点がすべての人が受け取るであろうものを網羅するわけないんだよね。音楽でいうなら、ほら、ジャーニーってバンドがいるじゃん?ジャーニーなんて音楽評論家からはボロクソに言われてるけど、俺の兄弟や、てゆうか俺もジャーニーの「エニー・ウェイ・ユー・ワント・イット」を熱唱しながらドライブするのが大好きなんだよね。だから、相対的なものなんだよ、あらゆるものは。」


Q: Well, if I may give you another musical example, what would you say about a band like Oasis?


A: That's another band that critics turn their nose up to, but they have some great songs. "Wonderwall," "Champagne Supernova," "Supersonic;" good stuff, but universally panned for being too derivative. There are a lot of people out there who don't care how much Oasis cops from the Beatles though, they just want to hear a good song they can sing along to. Again, relativity.


Q: Have you heard Oasis' new album?


A: [coughing] Excuse me, sorry... they have a new album?


Q: Yes, Heathen Chemistry. It came out last week.

A: Didn't they break up or something? I thought I heard on VH1 or somewhere that the brothers weren't speaking to each other.


Q: No, the Gallaghers are still together. They replaced the rest of the band, but they still lead, in their quarrelsome way.


A: Well, since I haven't heard the album, I can't really intelligently comment on it.


Q: Oh, but I have a copy right here. I'll put it on.


A: Oh, gee... okay.


ーわかりました、じゃあ音楽の例をもうひとつ。オアシスみたいなバンドはどう思いますか?


「オアシスも評論家が鼻で笑うバンドだけど…いい曲もあると思うよ。「ワンダーウォール」もそうだし、他にも「シャンペン・スーパーノヴァ」や「スーパーソニック」とか。オアシスがどれだけビートルズからパクッているかなんか興味ない人がたくさんいて、その人たちは一緒に歌えたらいいんだよ。繰り返すけど、相対的なものなんだ。」


ーオアシスの新しいアルバムはもう聴きましたか?


「(咳き込んで)え、ごめん、なんて?アルバム出したの?」


ーはい。『ヒーザン・ケミストリー』というアルバムを先週。


「あれ、オアシスって解散しなかったっけ?なんかテレビかどっかでノエルもリアムもそう言ってた気が…」


ーいいえ、ギャラガー兄弟はまだ一緒にいますよ。バンドメンバーを総入れ替えして、相変わらず主導権はあの2人のままですが。


「そうなんだ。うーん、でも聴いてないから気の利いたことは言えないな。申し訳ない。」


ーあ、それならコピーがここにあるんで、聴いてみましょう。


「あ、うん…。」


Q: [music starts] While we're listening, I'll quote some lyrics-- I'd like to hear how they fit in with your theory. The lead single, "The Hindu Times," revolves around one of Oasis' favorite topics with the chorus, "I get so high I just can't feel it." Songs like "Little by Little" show that the brothers are growing up, though, expressing thoughts like, "We the people fight for our existence/ We don't claim to be perfect but we're free," and bemoaning that "my God woke up on the wrong side of His bed." But the most frequently touched upon topic is that of the woman who done them wrong, such as the harpy in "Force of Nature" who is castigated for "smoking all my stash/ And burning all my cash."


A: No, wait a second, you had to have made that last one up.

Q: Just listen ["Force of Nature" plays in background]


A: My God. It's the chorus, even!

ー聴きながら、ちょっと歌詞を抜粋しますね。あなたの「すべてのアートは優れたアート」という論理がどれだけ当てはまるか聞かせてください。リードシングルとなった「ヒンドゥ・タイムス」のサビではオアシスの好んだ主題が反復されています。

♫めっちゃハイだぜー、もうわけわかんないぜー

「リトル・バイ・リトル」みたいな曲ではギャラガー兄弟の成長が感じられますが、相変わらずこんな感じです。

♫俺らは存在のために戦うんだ
♫パーフェクトじゃないって文句言われても俺らは自由だ

そしてこう嘆きます。

♫神様は不機嫌なのさぁぁぁ!

だけど最も頻繁に登場するモチーフは兄弟をダメにした女です。たとえば「フォース・オブ・ネイチャー」にする性悪女、彼女がブチ切れられる場面の歌詞です。

♫隠してたクスリ全部吸いやがった〜
♫もうすっからかんだぜ〜


「ちょっと待て!最後は流石に嘘だろ!」


ー聴いてみてください。ポチッとな。



「マジだった!しかもサビだ!」


Q: So, is it art?


A: Well, the... um... lyrics, as clunky as they are, still reflect a certain point of view.


Q: That of the hedonistic rock star, head full of cocaine, bemoaning his lifestyle of promiscuous sex and striving for an easy quasi-spirituality?


A: Yeah, sure. It's still a point of view... I guess. But the lyrics are just one aspect of any musical piece.


Q: You're exactly right. And I think Heathen Chemistry's instrumental, "A Quick Peep," is the purest example of Oasis' musicality. Here, let me play it for you.


A: See, now you're putting me on. I've heard that before, it's the Allman Brothers or Clapton or somebody.


Q: Nope, still Oasis.


A: Hmmm. Well, at least they're not stealing tricks from the Beatles any more, right? [laughing]


Q: No, they still are. [plays "Born on a Different Cloud"]


A: Wow. Well, as I said before, originality isn't necessarily a prerequisite for artistic achievement. Many great artists have been deeply influenced by their forebears.

ーこれもアートなんですよね?


「で、でも歌詞なんてある一つの視点を反映したものに過ぎないし…」


ーコカインのことで頭がいっぱいなイカレポンチのロックスター気取りが自分の乱交セックスを嘆いたり薄っぺらなスピリチュアル思想を熱弁しているだけの歌詞でも?


「…だってそれも一つの視点だし…。歌詞なんて音楽のほんの一部だし…」



ー仰る通りです。ところで『ヒーザン・ケミストリー』の音楽性についてですが、インスト楽曲である「クイック・ピープ」には今のオアシスの音楽性がよく表れていますよ。ほら、ポチっとな。



「おい!CD見せてみろ!聞いたことあるぞ!これオアシスじゃなくてオールマン・ブラザーズとかクラプトンのCDだろ!」


ーいや、オアシスですよ。


「畜生…畜生…!オ、オアシスはもうビートルズからパクらなくなったんだね、ははは…。」


ーいや、パクッてますよ。ポチッとな。



「うあああ!(膝から崩れ落ちる)でも、でも、言ったよな!必ずしも芸術の進歩にはオリジナリティなんて必要ないって。多くの偉大な芸術家は先駆者からめちゃくちゃ影響を受けてるんだよ!」

Q: So if, say, somebody Xeroxed the entirety of Crime and Punishment, changed the title to Russian Psycho, and released it to the public, that would be okay?


A: Um... well, that's an extreme example.

Q: Oh. Well, it gets better. Because Heathen Chemistry also takes the time to cop riffs and progressions from previous Oasis hits: "Stop Crying Your Heart Out" has the same string syrup as "Wonderwall," "Hung in a Bad Place" recycles the noise and whine of pretty much every Definitely Maybe track, and so on. So it's like our hypothetical artist repackaged the text of Russian Psycho as Latvian Maniac and passed it off as his newest work. Still art?


A: Leave me alone.


ーそれじゃ、あなたはある芸術家がドストエフスキーの『罪と罰』をタイトルだけ『頭のおかしい韓国人』*1に替えて出版しても別に構わないと?


「き、極論だ!」


ーオッケー。それじゃ、『ヒーザン・ケミストリー』はリフや曲構成をオアシスの過去のヒットソングからパクることに費やされているんですよ。「ストップ・クライング・ユア・ハート・オン」のストリングスは「ワンダーウォール」と同じだし、「ハング・イン・ア・バッド・プレイス」は『ディフィニトリー・メイビー』の曲を使い回しているだけだし、他にもたくさんあります。これってさっきの僕たちが話した架空の芸術家が『頭のおかしい韓国人』を『ネトウヨ大百科』*2に名前を変えて、それを最新作ということにしてるわけですが、それでもまだアート?


「お家帰りたい。」


原文はコチラ

*1:本文中では『Russian Pshyco』、つまりは「頭がおかしいロシア人」。

*2:本文中では『Latvian Maniac』、つまりは「ラトビア人大百科」。ラトビアのロシア人の関係についてはコチラを参照。

秋に聴きたいセンチメンタル過剰な10曲+α

みんな大好きオーケストラルくるりを代表する名曲「Jubilee」。あの曲でいちばん泣ける瞬間は、岸田繁が物憂げに「あぁ、さっきから風が冷たい」と呟く瞬間だと思うのですが、どうでしょう。同じく、みんな大好き中期フィッシュマンズを代表する名曲「感謝(驚)」。あの曲でいちばん泣ける瞬間は、佐藤伸治が感謝を込めて「夏休みが終わったみたいな顔した僕を、ただただ君はみてた」と驚く瞬間だと思うのですが、どうでしょう。


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夏の曲/冬の曲はもちろんのこと、春の曲という縛りでも簡単にリストアップできるし、iPodにそのようなプレイリストを作成している人も多いかと思います。ところが「秋の曲」となるとなかなか難しく、僕がパパッと思い出したのが先に挙げた2曲でした。共通するのは「取り返しがつかなくなってしまった」という喪失感と、同時にそれらが浄化されていくようなフィーリングです。秋という季節を「夏の終わりの後始末」としか認識していないような風流心の無い人間なので、秋に聴きたくなる曲は自ずと終わってゆく季節を弔うようなセンチメンタル過剰(かつ清らか)なものになりがちなのかもしれません。だから、例えばPerfume「マカロニ」とかは大好きだけどちょっと違う。むしろ彼女たちのレパートリーではこの曲なんかが秋っぽいと思うのです。

Perfume「Perfect Star Perfect Style」

(2006,『Perfume 〜Complete Best〜』収録)

I still love キミの言葉がまだはなれないの
あの日あの場所で凍りついた時間が
逢えないままどれくらいたったのかな
きっと手をのばしてももう届かない


ああキミの言葉がまだはなれないの
あの日あの場所で凍りついた時間が
逢えないままどれくらいたったのかな
きっと手をのばしてももう届かない


パーフェクトスター


では残り9曲、続けてどうぞ!年代順です。

・Colin Blunstone「I Don't Believe in Miracle」

(1972,『Ennismore』収録)

自身がフロントマンを務めたゾンビーズ解散後、1971年に発表した処女作『一年間』七尾旅人が「全哺乳類必聴」と絶賛した大名盤でありますが、翌年にも聴き逃すには余りに惜しいソフトロックの傑作『エニスモア』を献上しています。その『エニスモア』からシングルが切られたこの曲は、コリン・ブランストーンが優れたコンポーザーであると同時に希代のソウルシンガーであることも証明しています。とても穏やかで力強いのに今にも壊れてしまいそうな繊細な歌唱。「僕は奇跡なんて信じない」という言葉に滲むのは後悔と悲しみ、でも「天使の声」と称された彼の声と天上のコーラスワークはあらゆる負の感情を氷解させてゆきます。

I believe that somewhere there's someone
Who's gonna light the way when things go wrong
The bullet that shot me down came from your gun
The words that turned me round were from your song


But I don't believe in miracles
I don't believe in miracles
But I thought you might show your face
Or have the grace to tell me where you are


僕は信じている
うまくいかない時に道を照らしてくれるような誰かがどこかにいることを
僕を撃ち抜いた弾丸は君から放たれた
僕を変えてしまった言葉は君の歌から放たれた


だけど僕は奇跡なんか信じない
奇跡なんか信じないよ
だけど思ったんだ
君がもしかしたら顔をみせにきたり
何処にいるか教えてくれるかもって

・Bob Dylan 「Simple Twist of the Fate」

(1975,『Blood on the Tracks』収録)

「ノルウェイの森」と同様に「姿を消した女」をモチーフとしながら、娼婦と彼女を買う旅人を登場させることによってハードボイルドな味付けが施されたこの曲には、膨大なディランの楽曲の中でも一二を争う途方もなく美しいメロディーが与えられています。曲中の登場人物たちは運命に翻弄されながらも、殊更逆らったり悲しみに溺れることもなく、たった一言「これは運命のひとひねりなんだ」と呟き巨大な波に呑み込まれてゆきます。まるで砂漠のように渇ききったセンチメンタリズム。言葉はとても冷たいけれど、それを歌うディランの声とメロディーは何よりも優しくて、その戸惑ってしまうようはアンバランスさがとても秋に似合うと思うんです。

People tell me it's a sin
To know and feel too much within
I still believe she was my twin but I lost the ring
She was born in spring but I was born too late
Blame it on a simple twist of fate


心の中をあまりにも知り過ぎることは罪だと人は言う
僕と彼女は双子だとまだ信じているけど
僕は指輪を無くしてしまった
彼女は春に生まれたけど
僕は生まれたのが遅すぎた
それは運命のひとひねりのせいさ

・RC サクセション「うわの空」

(1976,『シングル・マン』収録)

忌野清志郎という天才は「宙ぶらりん」という感覚を表現するのが途轍もなく上手い人でした。音楽だけが自分と世界を接続しているという感覚をリプレゼントしたのが「トランジスタ・ラジオ」だとするなら、この「うわの空」はその唯一の接地点すらも失ってふわふわと風船のように漂う根無し草な実存を歌っているのではないでしょうか。ドラッギーとも受け取れる歌詞中で、「ぼく」は「君」に拘泥することも引き留めることもしようとせず、飛び立ってゆく姿をぼんやりと眺めているだけです。同じアルバムに収録された咽び泣くような歌唱が印象的な「ヒッピーに捧ぐ」に比べ、感傷的と呼ぶにはあまりに寒々しく冷徹なその視線には代わりに諦めと甘い喪失感が宿っています。少し曇った秋の空にこれほど似合う曲を僕は知りません。何かを喪ってしまったという実感だけが、痛みを伴わずに加速してゆきます。

君は空を飛んで
陽気な場所をみつけに
ぼくをおいて行けばいい
だけど空の上からじゃ 何もはっきり見えやしない
ぼくも空を飛んでみようか なんて

・The Clash「White Man in Hammersmith Palais」

(1978,『White Riot』収録)

秋になるとクラッシュを聴きたくなるのは僕だけなのでしょうか。『サンディニスタ!』なんて秋の夜長にじっくりと聴き込むにはぴったりだし、レゲエとロックンロールを基調としたご機嫌なサウンドジョー・ストラマーの適度にエモーショナルな声が曇った気分も蹴っ飛ばしてくれる。要は寧ろ秋を忘却するためにクラッシュを必要としているのですが、少なくともこの歴史的名曲には少なからず秋感が漂っているように思うのです。この曲の歴史的/文化的な背景についてはクボケンさんの素晴らしい解説を読んでもらうとして、現実に打ちのめされてうわ言のように「俺は楽しんでいたいだけ」と繰り返すジョーの姿に僕は心打たれます。「I'm Not Down」でみせた勇ましさと「Train in Vain」でみせた情けなさの間で揺れ動く気持ちを歌ったこの曲は、どっちつかずで煮え切らない秋の気分に驚くほどマッチします。

I'm the all night drug-prowling wolf
Who looks so sick in the sun
I'm the white man in the Palais
Just lookin' for fun
I'm only Looking for fun
Oh please mister just leave me alone
I'm only looking for fun


俺は毎夜クスリを求めて彷徨う狼
俺は昼間はただの病人
俺はハマースミスパレーの白人
楽しんでいたいだけ
ねえ、だからお願い俺を放っておいて
楽しんでいたいだけ

The Specials「Ghost Town」

(1981,アルバム未収録)



陽気なスカバンドというイメージの強いスペシャルズですが、彼らがラストシングルとなった「ゴースト・タウン」はそのタイトル通り不穏な匂いが充満した異色のアンセムです。この曲がリリースされた1981年の6月から遡ること2ヶ月前、ブリクストンで発生した黒人青年の刺傷事件を巡る警察の対応に抗議した群衆と警官隊の衝突がありました。その事件を発端として7月にはとうとうイギリス中を巻き込んだ暴動へと発展、リヴァプールやロンドンも全市が戦場と化しました。まさにその期間、3週間に渡りイギリスのヒットチャート1位にあったのがスペシャルズのこの曲でした。かつてのピースフルで楽天的な空気が完全に失われてしまった街/ライブハウス/ダンスフロア。不気味で空虚なホーンの響きに、彼らの悲しみとまるで暴動を予見していたかのような不安が反映されています。唯一「ゴーストタウンになってしまう前の古き良き日々を覚えているかい?」と語りかけるパートだけが陽性のヴァイブスを放ちますが、それもすぐに不穏な空気に掻き消されてゆきます。在りし日の幸福な思い出がぶすぶすと燻っている様子がとても秋っぽいと思います。

Why must the youth fight against themselves?
Government leaving the youth on the shelf
This place, is coming like a ghost town
No job to be found in this country
Can't go on no more
The people getting angry
This town, is coming like a ghost town


どうして若者同士で争わなきゃならないんだ?
政府は若者を棚に上げてやがる
この場所はゴーストタウンになるぜ
この国では仕事なんかありゃしねえ
もう我慢できない
みんなブチ切れている
この街がゴーストタウンになっちまう

・スチャダラパー「Mr. オータム」

(1996,『偶然のアルバム』収録)

そのまんま。あまりにど直球ですが、数少ない秋ソングのクラシックであるこの曲はやはり外せないでしょう。メロウすぎるピアノループ(元ネタ知ってる方いたら教えてください、スライじゃないよね?)に乗せてラップされるのは感傷だけではなく、「自分はもしかしたら狂っているのかもしれない」というフィーリングです。「狂っている」とは少し大袈裟ですが、どうにも社会と噛み合わずに疎外されている感覚はブッダブランド「人間発電所」坂本慎太郎「まともがわからない」、吉田ヨウヘイgroup「間違ってほしくない」といった名曲たちにも通じるかもしれません。そういった漠然とした不安は秋が運んでくる冷たい空気にとてもしっくりと馴染みます。

筋金入りの季節マニア
日は傾きまた鮮やかな毎日
イチイチドキドキ一生過渡期
キラ目輝かせ行くぜマイメン
落ち葉横目にROCK THE BEAT PUT YOUR HAND
天然の機転 センチメンタルに次元CHANGE
言いたかないがオレは文字ずらで見りゃ
昼間からブラブラしてる自称スター気どり
みとり to the 赤経た葉!!のように
微妙にのんきに変化!!
日めくりめくり 季節は巡り
そしてアニはいつも大忙し

空気公団「夕暮れ電車に飛び乗れ」

(2001,『融』収録)



初期の代表作であり、日本のポップミュージック史上にその名をひっそりと刻む大名盤でもある彼女たちのセカンドアルバム『融』。そこからシングルカットされたこの曲は少々あざとさを感じさせるほど、聴く人の涙腺を鋭く刺激してゆきます。歌い出しの「君のことを思い出させる季節になりました」という独白から伝わってくるのは、既に傷が「癒えてしまった」ことに対するメタレベルの混乱ではないでしょうか。小沢健二の名曲「流れ星ビバップ」にあるこんな一節。

時は流れ傷は消えてゆく
それがイライラともどかしく
忘れてた誤ちが大人になり口を開ける時
流れ星探すことにしよう
もう子供じゃないならね

癒えたと思った傷口は、しかし、思いがけない瞬間にぱっくりと開いて血が流れ出します。すっかり分別のある大人になった「僕」は泣き叫んだり、隣にいる大切な人にぶつけたりすることはありません。それが正しくて、同時にどうしようもなく間違っていることを知っているこの曲は、ほんの少し子供のように取り乱すことへと「僕」を誘い出します。曲中では1度も為されない「夕暮れ電車に飛び乗れ」という命令が意味するのはそういうことではないでしょうか。血が止まらないのなら、涙を流して痛がっていいんだよと。

君はどこかで誰かときいているだろうか
ゆっくりと動き出す電車の音を
君は景色の中に残っているみたい
僕は誰かと優しい歌を歌ってる
次の駅で降りてみようか

・agraph「gray, even」

(2008,『a day, phases』収録)

電気グルーヴのエンジニアとしても活動している牛尾憲輔のソロプロジェクトであるagraph。夏になればフェネスの『Endless Summer』を聴くように、秋になればagraphの『a day, phases』を聴くのです。四つ打ちやダンスミュージックという枠に囚われない自由でリリカルなテクノ。レイハラカミを連想させますが、彼に比べるとagraphの音楽はスタイリッシュで良くも悪くも洗練されています。完全にコントロールされているのですが、かといって砂原良徳の作品程は強迫観念的でなく、程よい塩梅に仕上がっています。年中聴ける名盤だと思いつつ、センチメントが零れ落ちてくる冷んやりとした質感の電子音にはやはり秋の夕暮れが最も映えるように思います。どの曲も素晴らしいですが、まずはオープニングトラックである「gray, even」を聴いてみてください。どこか冷たい風が運んでくる秋の匂いがしませんか?


・ミツメ「取り憑かれて」

(2015,『めまい』収録)

ずっとこれが続くとは
とてもじゃないが思えなくて
日差しに溶けそうな声で尋ねた
いつも気にもしないでいたいのだけど
取り憑かれてしまったのなら、どうするの?


長い日々も終わるとは
頭のどこか知りながら
果てなく飛び出して一人歩いた
いつも気にもしないでいたいのだけど
取り憑かれてしまったのなら、どうするの?


ずっとこれが続くとは
とてもじゃないが思えなくて
日差しに 溶けそうな声で尋ねた
いつも気にもしないでいたいのだけど
取り憑かれてしまったのなら、どうするの?

The World Is a Beautiful Place & I Am No Longer Afraid to Die 『Harmlessness 』

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The World Is a Beautiful Place & I Am No Longer Afraid to Die 。「この世界は美しく、僕はもう死ぬのは怖くない」という「世界の終わり」と名乗っていた頃のセカオワすらドン引く程のナイーブさを臆面もなく露わにしたそのバンド名。2009年にアメリカのコネチカットで結成された当時の彼らが鳴らすサウンドは「繊細なギターフレーズに揺蕩うようなリズムパターン、そこに時折シャウトを混じえたナイーブな歌心」という微笑ましいほどエモ・リバイバルを素直に踏襲した、要は麗しきAmerican Football直系のものだった。しかし、Pitchforkを筆頭に各メディアに絶賛された2013年リリース作『Whenever, If Ever』において、その良くも悪くも典型的なエモサウンドにアクチュアルな変化がみられた。





同じく大所帯な編成であるArcade Fireの音楽性に着想を得たと思しきストリングスや神聖な女性ボーカルの導入。深いリバーブがかけられたサウンドからは同時代のドリームポップへの共鳴も感じ取れる。アルバムの最後を飾る「Getting Sodas」にこの作品の素晴らしさがしっかりと掬い上げられている。ライブ映像では終盤、オーディエンスもステージへと上がり大合唱となるシーンが本当に美しい。殆ど聴き取れないがシンガロングされている歌詞はこうだ。

The world is a beautiful place, but we have to make it that way
Whenever you find home, we’ll make it more than just a shelter
And if everyone belongs there, it will hold us all together
If you’re afraid to die, then so am I


世界は美しい
それでも僕たちは世界を美しくあらさなければならない
いつか君がホームを見つけたとき
僕たちはホームを単なるシェルター以上のものにしなければならない
もしこの世界にすべての人がいるなら
この世界は僕たちをまとめて包み込む
もし君が死ぬのが怖いなら
僕だってそうなんだ



凡百のエモ・リバイバル・フォロワーから鮮やかに脱皮した彼らが2年ぶりとなるアルバム『Harmlessness』を先日リリースした。今作においてもバンドがその歩みを止めることはなかった。間違いなく前作を軽く上回るマスターピースとなっている。




バンド・アンサンブルは更にその表現力を蓄え、Bon Iverの不在を埋めるかのような巨大なスケールへと達している。例えばアルバム3曲目の「January 10th, 2014」。多彩な展開はテクニックのひけらかしに終わらず、7分超の長尺曲ながら決して大味になることなく、彼らならではのフラジャイルな質感はしっかりと保たれている。余談だが、この曲及びミュージックビデオは2013年にメキシコで起きたバス運転手射殺事件をモチーフとなしている。「ダイアナ、(運転手)ハンター」と名乗る女性が性的暴行容疑のバス運転手に報復し英雄視された事件を題材に、曲中フロントマンのDavid Belloと紅一点のキーボディスト兼ボーカリストであるKatie Shanholtzer-Dvorakがそれぞれ運転手とダイアナに扮し、このようなやり取りが交わされる。

Are you Diana, the Hunter?
Are you afraid of me now?
Well, yeah. Shouldn’t I be?


お前はダイアナ、ハンターか?
あなた私が怖いの?
ああ、そうさ、どうして怖くないと?

潜在的な悪の象徴である運転手と自警/尊厳の象徴であるダイアナ。最終的に運転手がダイアナに射抜かれて「Make evil afraid of evil’s shadow」(「悪に悪の影を怯えさせろ」)というメッセージと共にこの映像は終わる。正直なところ、人身売買に対する私的な報復をモチーフとしたAvicii「For A Better Day」のビデオと同様、彼らの潔癖/直裁的すぎる正義感には個人的には賛同しかねる部分もあるが、少なくともそのメンタリティーに対しては強い信頼を覚える。


とはいえ、サウンドがどれだけ進化しようと彼らが取り憑かれているテーマは基本的にはずっと変わらない。「僕たちはみんな死んでしまう」というとんでもない事実について。前述したように『Whenever, If Ever』ではオーディエンスと「大丈夫、僕たちはひとりじゃないんだ」とシンガロングすることで乗り越えようとした。なら、『Harmlessness』ではどのように克服(しようと)したのか?そのトライアルは冒頭「We Can't Live There Forever」、そして最終曲「Mount Hum」にしっかりと示されている。

We Can't Live There Forever


There's tiny worlds inside your mind
And your fingers are a distant sky
you shove into your mouth to block the whole sun out
It's better than living in the light
To die over exposed so you fight and that's alright
You're harmless in your mind
You're formless in the night
And that's alright


君の中にある小さな世界
君の指は遠い空で
君は口にそれを突っ込んで太陽の明かりを遮断する
明かりの中で生きるよりもマシだ
明かりにあたると死んでしまうから君は戦う
君は正しい
君は君の世界で無害だ
君は夜の中で形を失う
それは正しい


What do you think is going right in your life?
What can you know about life if you've never died?
You think that the world is alright but that's a lie
'Cos we're afraid to die and that's alright


生きることについて何が正しいと君は思う?
もし君が死なないとしたら君は生きることの何を知るのだろう?
君はこの世界が美しいと思っている
だけどそれは嘘だ
だって僕たちは死に怯えている
そしてそれは正しい


Where is the action?
Where are the streets that take you to bed?
What is your name and what do you do here?
We have the same thoughts clouding our heads
Formless shapes in the darkness
We are as harmless as the thoughts in our heads
Drinking poison and chewing on concrete
Burning holes in the sheets on our beds
And we think that the world is alright
And we think that the world is alright and that's a lie


行動はどこにいった?
ベッドへと続く道はどこだ?
君の名前は?
ここで何をしているの?
僕たちの頭は同じ考えでごちゃごちゃになっている
夜の中で形を失った姿
僕たちの頭の中の考えと同じように
僕たちは無害だ
毒を喰らいコンクリートを齧る
僕たちのベッドに敷かれたシーツに空いた燃えさかる穴
僕たちは世界を正しいと思っている
僕たちは世界を正しいと思っている
だけどそれは嘘だ

Mount Hum


Nauseated at the beach, we’re watching white birds flock around competing at the prizes
We give ‘em a slice of gum, a loaded trunk with everything you left outside in East Fairmont
Water bottles feed the kids you knew that you forgot that you knew
We’re back here somewhere before you learned to read


ビーチで吐きそうになりながら
僕たちは一番を目指して争いながら飛ぶ鳥たちを見ていた
鳥たちに一切れのガムとトランクをあげた
トランクの中には君がイースト・フェアモントに忘れてきたものが入っている
水のボトルが子供たちを潤す
君は子供たちを知っていることを忘れてしまったことを知っている
君が読み書きを覚える前に僕らはどこかに戻ってきたんだ


The music never changed, your heart just quit beating
We held CD’s in our hands, our legs tied to our shoes


音楽は決して変わらない
君の心臓はただ素早く脈打っている
僕たちは腕にCDを抱えた
足はといえば靴を履かされていた


Will you spend the next hours working, while I rest with my head on the floor?
Did you leave the rest to rot in memory?
Did you remember to build a memorial?
Will they see us in the living room, between the key and your front door?


僕が床に突っ伏して休んでいる間に散歩でも行ってきたらどう?
残りは記憶の腐敗に任せたらどう?
記念碑を建てることは覚えている?
彼らはリビングで出会うのかな?
玄関と君の部屋のドアの間のリビングで


Come off and fall, so that I can pick you up
Our homes are not the kinds of places you’d own
Where the pieces of the pieces go when walls corrode
Where the water spills in waterbeds when we’re alone
We were ghosts even then, errant sunlight on our skin
Sunlight, sunlight
And we drove out to the bluffs, raced each other through the dust
We’re all gonna die


出ていけ
そして落ちろ
そうすれば僕は君を拾えるから
僕たちのホームは君が所有する場所じゃない
壁が崩れ落ちると破片の破片が向かう場所
僕たちが孤独なときにウォーターベッドに水が満ちる場所
僕たちが幽霊でも気まぐれな太陽は肌へと降り注ぐ
太陽の明かり
太陽の明かり
僕たちは絶壁に向かい
灰の中でお互いを追いかけあう
僕たちはみんな死んでしまう


「Getting Sodas」がまるでゴスペルのようにリスナー/オーディエンスを結びつけ、悦びに満ちた楽曲であったことに対し、「Mount Hum」に漂っているのは深い悲しみと逃避への欲望だ。この曲の最終ヴァースに登場する「ホーム」というモチーフは「We Can't Live There Forever」における「There」であり「夜」だ。ホーム/There/夜の中で形を失い無害な存在である「僕たち」は、しかし太陽の明かりによって灰となりそこから追い出されることになる。彼らが「Beautiful」だと言い切る「This World」とは、少なくとも前作では太陽の明かりが射す「いまここ」の世界だった。しかし、今作において彼らが美しいと讃える「This World」は「いまここ」ではない「どこか」だ。彼らは太陽の光を浴びて、まるで微笑むように死んでゆく。死はここでは克服するものではなく、寧ろ世界を美しくする手段として捉えられている。


The World Is a Beautiful Place & I Am No Longer Afraid to Die。「この世界」と呼べるものが現実以外にもあることを、サイケデリック・ミュージックに触れたことがある君なら知っているだろう。彼らはドラッグの力も借りずに、ただただフィジカルに現実の外側を目指す。ヒトが形を失い溶けあう夜の世界を目指す太陽の匂いがする音楽、そのアプローチが本当に新鮮に僕には映る。ただ目を閉じさえすればいい。すると、この世界は美しく、僕はもう死ぬのは怖くない。だって、死ねばずっとこの世界にいられるんだから。

旅に出るのは、たしかに有益だ、旅は想像力を働かせる。これ以外のものはすべて失望と疲労を与えるだけだ。ぼくの旅は完全に想像のものだ。それが強みだ。


これは生から死への旅だ。ひとも、けものも、街も、自然も一切が想像のものだ。小説、つまりまったくの作り話だ。辞書もそう定義している。まちがいない。


それに第一、これはだれにだってできることだ。目を閉じさえすればよい。


すると人生の向こう側だ。


(ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』より)