いまここでどこでもない

I can't give you all that you need ,but I'll give you all I can feel.

ミツメ,the stranger

ミツメのニューアルバムが素晴らしい。

ささやき/ミツメ 2014

ささやき

ささやき

ジャケットが昨年リリースされたthe strangerのアルバムを連想させる。

watchig dead empires in decay/the strangers 2013

Watching Dead Empires in Decay

Watching Dead Empires in Decay

ひたすらダークなwatching〜に比べるとささやきは随分ポップだが、そのポップさがこの作品の空虚さをより際立たせている。

団地という多くの日本人にとって見慣れた写真が、なぜこんなに空虚に不穏で、絶望的に感じられるのか?

Where Are Our Monsters Now, Where Are Our Friends?、という曲名に顕著なようにwatching〜の暗さは一種のファンタジーである。ディストピアミュージックの素晴らしさはその逃避性にあって、本質は快楽的で無邪気なものだ。

一方、ミツメはディストピアを描かない/鳴らさない。ミツメが描く光景はジャケットの団地のような煤けた日常。ちょっと昔までは「終わりなき日常」と呼ばれていたような、そんな光景だ。ささやきの楽曲はどれも悲しくなるほどだらしない。前作まであった甘いメロディーは少し後退し、強張るようなリズムが目立つ。演奏も素晴らしい切れ味なのにどこか不安定で頼りない。

苛立ちも煌めきも悲しみもどれも色褪せてうすら笑いを浮かべているような、どこまでも醒めたその音は坂本慎太郎の近作と共振する。だがどこかソウルフルで甘い坂本の声に対し、川辺のボーカルは冷たく投げやりだ。

終わりなき日常が幻想であることは、3.11以降どんな鈍感な人間でも認識せざるを得なくなった。良くも悪くもこの国の音楽はメッセージ性を増し、シリアスになっていった。その流れに反するようにミツメは終わりなき日常を鳴らす。それは勿論ノスタルジアからではない。認識が変わろうと、日常は変わらない。相変わらずだらしなく毎日は続いていく。ただ20年前に比べて毎日には、より濃く疲労と不穏な空気が滲んでいる。

白昼夢のような、現実に呼び戻されるような、ギターの音色が特に素晴らしい。

最後に、間違いなく偶然ですが、今から10数年前に終わりなき日常を鮮やかに切りとったある名曲とアルバム随一の名曲との不思議な繋がりを。

楽しいことなんか、そんなにありゃしないから   
パラダイス/fishmans

それは甘い誘い、夜の中の
どうかしてた

paradise/ミツメ