小沢健二
我ら、時/小沢健二 2014
このアルバムは2010年に行われたひふみよツアーの音源を収録している。幸運にも僕は二つのコンサートに参加することができた。当時の僕はiPodに小沢健二の音楽しか入れてないという、かなりハードコアなファンだったのです。当時のコンサートについて書いた日記を再掲する。
ひふみよが終わっちゃった。結局神戸と大阪に行けたけどもっと行きたかったあああ…!ライブ終わった直後はヘロヘロでもうCDでいいやー、とか思ったけど毎日数回はコンサートを思い出して深い気持ちになったり楽しい気持ちになったりする。とにかく何らかの形で作品として纏めて下さい。あの痺れるほど格好良かったひふみよバージョンの「天気読み」聞きながら自転車で疾走したいんです。あと「時間軸を曲げて」(すげえタイトルだよな)も聴きたい、おねがい。「ライフイズカミンバック!」という歌詞を封印してまで歌った「ずっと感じたかった僕らを待つ」、この歌詞の意味を僕はまだ考え続けている。 幸せだったり、切なかったり、楽しかったり、悲しかったり、怖かったり、優しかったり、厳しかったり、力強かったり、繊細だったり、俗っぽかったり、敬虔だったり、そういう複雑さが混沌としたまま、ものすごくポップな音楽の真っ只中ただある。でもそれって「僕らの住むこの世界」そのものじゃないか。めんどくさがり屋の人間は世界を単純化してどんどん鈍感になってゆく、いつの間にか借り物の考え方や言葉で世界を分かった気になってしまう。分からないものを分からないまま分かってゆくってことをしなくなる。するとこの世界から僕らは切り離されていく。よく分からないから死や狂気や暴動や熱狂なんかは隅に追いやられ、感じることからどんどん遠ざかってしまう。分かるものや単純なもので世界は埋め尽くされる。そういう分からないものが欠けた世界では頭で分かるものしかないから、人は感じることを忘れてしまう。でもこの世界はどうしたってひとつしかないから、いつだってフッと分からない何かが、「気まぐれにその大きな手で触れる」、瞬間がある。例えばビルの隙間から見える青空だったり、全力で走り出す小学生だったり、大きな大きな雨上がりに架かる虹だったり、聞こえてくる音楽だったり、急に吹いてくる強い風だったり、恋に落ちる瞬間だったり。そういう世界の「裂け目」を無くすことなんて絶対に出来っこない、無くしたいって思う悪い人もいるらしいけれど。ひふみよはその裂け目をコンサート会場という場所に召喚しようとしていた。普段は密かに静かに点在する裂け目を思いっきり切り裂いて、みんなでそこに飛び込んだ。少し怖いけれど平気。真っ暗な中で鳴り響く音楽、全然違う世界。でもみたことのある同じ世界。 毎日のシーンに凄いものはいっぱいある。コンサート中に何度も彼は歌いながら自分の足下を指差した。その姿は「ここ、今いるこの世界、夢物語じゃなくて、僕らの住むこの世界について歌ってんだ!」と言っているようだった。このコンサートを締めくくったフレーズが「君の住む部屋へと急ぐ」っていうのが象徴的だと思う。ずっと感じたかった僕らが待っていたのは、きっと普段の日常で時折一瞬だけ垣間見えた裂け目の向こう側。そこにある、この世界にいる悦び。
僕は2011年の東京のオペラハウスで行われたコンサートツアー「東京の街が奏でる」にも足を運んだ。全体的な満足度はひふみよの方が高かったが、鬼気迫るフルレングスの「ある光」や新曲の「神秘的な」は本当に感動的だった。
しかし、ハードコアな小沢健二ファンだった僕は断言する。彼の最高傑作は今回のライブ盤でも、瑞々しい犬でも、歓喜と祈りのライフでも、成長と老いについての球体でも、早すぎたR&Bだったeclecticでも、素晴らしいアルバム未収録のシングル群でもない。
彼の現時点でのキャリアハイは間違いなくこの作品だ。
village the video/小沢健二 1995
- アーティスト: 小沢健二
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1995/09/20
- メディア: VHS
- 購入: 2人 クリック: 12回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
服部隆久フルオーケストラを従え観客に投げキッスしながら登場し、しょっぱなからフルテンションの「僕らが旅に出る理由」、まるでクライマックスのような盛り上がりからのコンサートスタート。小沢健二がオーケストラに向かって親指をたてるシーンだけでグッとくる。
音源には未収録の歌詞を歌い、強烈なディスコアレンジが施された「戦場のボーイズ・ライフ」。完璧なオーケストラの伴奏と照明が遥か遥か高くに導く「強い気持ち・強い愛」。暖かなギターが切なさを加速させる「いちょう並木のセレナーデ」。観客が一体になって怒涛の盛り上がりをみせる「ドアノック」。
しかしどの曲もダブルアンコールを含め2回演奏された「ラブリー」と荘厳さを増した「天使たちのシーン」の神懸かった2曲には敵わない。
ラブリーでは執拗に執拗にサビが繰り返され、コール&レスポンスされ宗教的な狂気と熱を帯びてゆく。「いつか悲しみで胸がいっぱいでも、lovely,lovely,続いてくのさデイズ」、「いつか誰かと完全な恋に落ちる」、「世界に向かってハローなんつって手を振る」、CDではナイーブな祈りにも似た切なさを感じさせるこれらフレーズが、ここではその言葉の意味のままに暴力的な強度と恍惚をもってリピートされる。
そしてこのライブの直前に急逝した東京スカパラダイスオーケストラのギムラ氏に捧げられた「天使たちのシーン」。言葉のひとつひとつを大切に歌い上げる。CDよりもグッとテンポを抑えて演奏され、オーケストラとホーンが甘いコンツェルトを奏でる。お天気雨のように喜びと悲しみが、死と生が交差してゆく。
僕がいくら語ってもこのライブテイクの素晴らしさは百万分の一も伝わらないだろうから、せめて彼の詩の風景からよく似たシーンを切り取ろう。このビデオに収められた美しさがほんの少しでも伝わればいい。
緩やかな円を描くようにぼくらの人生が交差する天幕の下で踊るワルツスローテンポで続いて行く