いまここでどこでもない

I can't give you all that you need ,but I'll give you all I can feel.

ROTH BART BARONと「ロキノン系」を巡る話(後編)

前編に続いてロキノン系という言葉について考えます。前編で書いた僕なりのロキノン系の定義は以下のようなものでした。


「オアシスやニルヴァーナといった90年台前半の欧米のギターロックの影響が色濃く、ヴァース/コーラス/ヴァースといった強弱法を多用しておりライブでの即効性が強い。リズム面での黒人音楽の影響は少なくBPMが早い曲が多い。またアーティストとリスナー間に共依存的な関係性がよくみられる」


そして記事の最後ではリスナーとアーティスト間の共依存的な関係がロキノン系の肝である、と書きました。今回はその続きです。


共依存的な関係とは言葉の通り、リスナーがアーティストに依存(信者、~に救われた、など)しアーティストがその依存にフォーカスを当てて/つけ込んで曲を作っている(ように見える)という、古くはかつて渋谷陽一が「ポップスター・システム」と呼んだ構造をもつ関係性です。具体的には「弱くて繊細な僕」であるリスナーを「それでいいんだよ」とミュージシャンが肯定するという、リスナーの肥大した自意識を刺激し増長するタイプが最多だと思います。他にも「危うく壊れやすい僕」「観念的で悩みがちな僕」を肯定するタイプなどがあります。それらの肯定、慰みにおいてファンはミュージシャンに心酔し一種の宗教的な関係が成立します。加えて社会的な問題意識を歌わない、というのも成立に大きく関わっています。そういった意味でロキノン系は間にある「社会」をすっ飛ばし「僕と世界」を直結させる「セカイ系」の亜種ともいえるかもしれません。


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それってダメなの?と聞かれたら、突き詰めたら好みの問題としかいえないのかもしれません。ですがそういったバンドが日本のメインストリームの主流となりつつある現状は危惧すべきだと思っています。何故ならそういった閉鎖的な関係性で生まれる音楽は変化が少ないからです。変化しないこと、これは宗教的な関係を維持するにあたって最も重要なことです。現在日本のメインストリームかつてのレディオヘッドカニエ・ウェストのように作品を出すたびに賛否両論を巻き起こすよなアーティストはいるでしょうか?ピート・タウンゼントがいうところの「ファンが困惑するようなとんでもないことをやり続けることこそが、真のポップアーティストだ」という言葉を信じる僕にとって、今の現状は良いものとは思えないのです。


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続いてメンタリティーだけでなくサウンドについても考察していきましょう。ネットメディアにおけるBART ROTH BARONの高評価は「同時代の洋楽の影響を感じさせる」ことに大きく拠っています。僕も前回の記事の冒頭でそう書きました。このバンドがロキノン系と呼べない理由も同じです。


では「洋楽の影響を受けているから素晴らしい」からもう一歩踏み込んで「洋楽の影響を受けていないことは悪いことなのか?」について。僕の答えは「悪いことじゃないけど悪影響だと思う」です。


どういうことか。先にも述べたように同時代の洋楽の影響を受けていないというより、今だに90年代的なロックサウンドを鳴らしている、といった方が正確でしょう。ここで注意したいのは彼らが参照としている90年代的なロックサウンドというのは「とても分かりやすい」サウンド、偽悪的な書き方をするならファストフード的な音楽の構造だということです。それはつまり「ただ騒ぎたいからフェスに参加する」層を引き寄せるだけでなく、リスナーにメッセージが伝わりやすいということです。ロキノン系にありがちな音圧を上げたコーラスの歌詞に泣く/共感するリスナーがたくさんいるのはTwitteryoutubeのコメント欄をみれば明らかだと思います。それが先に述べたアーティストとリスナー間の共依存的な関係性を強化していく。そんな悪循環が生まれます。


極端な例を出すならたとえ同じ歌詞でもバンプの曲なら共感するのは容易いがROTH BART BARONの曲なら共感するのは難しい、といったところでしょうか。もちろん共感することは音楽を聞く大きな楽しみのひとつです。問題は「共感する」ことが「慰め」となりひたすら自意識を肥大させてゆくというロキノン系によく見られる構造です。メンタリティとサウンドが補完的にリスナーとの関係性を強固にしタコツボ化してゆく。それが所謂ロキノン系リスナーの排他性を生み出す原因だと思います。


最後にROTH BART BARONのある1曲をみてみましょう。

よだかの星/ROTH BART BARON

君は僕の命を救ってくれた それなのに僕は君を裏切った
なんてことを なんてことを 僕はしでかしてしまったのだろう
元気を出せよ 何があったんだ 以前の君はそんなじゃなかったのに
なんてことを なんてことを 僕はしでかしてしまったのだろう
なんてことを なんてことを!
取り返しのつかないことを 取り返しに行こう


深々と降る雪を思わせるオープニングから徐々に広がってゆく雄大なギターと原始的なパーカッション、それらが描くオーロラの夜空のような壮大なサウンドスケープは安易な共感を拒絶します。 歌詞はひたすら後悔と罪悪感を吐き出すのみで救いや慰めは用意されていません。それでありながら、どこか贖罪を思わせる清らかで神聖な空気がこの曲には張り詰めています。自意識から遠く離れて。