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いまここでどこでもない

I can't give you all that you need ,but I'll give you all I can feel.

KOHH『Monochrome』

レビュー

こんな言葉がある。

リアルよりリアリティ、リアル

これは甲本ヒロトハイロウズ時代に書いた「十四才」という曲の一節だ。


KOHHというラッパーがいる。

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1990年東京生まれ。幼少期は都営住宅で薬物中毒者の母親と過ごす。身体中タトゥーだらけ。2012年に発表したミックステープ「YELLOW T△PE」で一躍注目を浴びて、この度「派手すぎる」という理由でファーストアルバムのリリースを一旦中止し、先日、よりパーソナルな内容のセカンドアルバムを先駆けてリリースした。

Monochrome/KOHH(2014)
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僕はタトゥーやドラッグは勿論、乱交パーティにも行った事が無いし、アルコールで酩酊して記憶を無くしたことさえ無い。夜遊びも殆どしたことがないし、ヒップホップクルーみたいな連帯感も苦手だ。だから、母親にマリファナを吸わされながら気の置けない仲間や友人やビッチたちと馬鹿騒ぎして入れ墨を掘りまくっているKOHHという人物は遥か遠くに感じてしまう。あまりに自分の生活と重なる部分が小さすぎて、リアルな人物だとは思えない。彼のプロフィールだけ眺めるとリアリティなんてこれっぽっちも沸かない。だけれどこの『Monochrome』を聴いている間、僕は何度もアルバムの中に僕自身を発見する。


ドラッグ、タトゥー、パーティーやビーフといったアルバム内で頻出するガジェットには距離を感じても、その核となるメッセージは非常にストレートに伝わってくる。ビートも比較的シンプルで、ラップも歌詞カード無しで聞き取れるほどに一言一言はっきりと発音されている。テーマは貧困、ラブとヘイト、仲間、夢、金、欲望、自尊心、誇り、感謝、差別、自由。どれも特段奇抜なものではない。寧ろそれは「2014年の日本」という舞台で生きる若者なら、必ずアクセスできる/してしまうはずのものだ。それ程にこのアルバムのリアリティは強力だ。現実を共有できずとも、現実感は変わらない。ドラッグをキメながらビッチとセックスをしようが、腕にタトゥーを刻みつけようが、軽自動車に乗ってユニクロで買い物しようが、僕たちは共にこの土地とシステムの中で生きている若者だ。(まあもう僕は若者とは呼べない年齢に差し掛かっているのだけど。)ポップミュージックが時代のリアリティの映し鏡だとするなら、『Monochrome』は極めて優れたこの国のリアル・ポップミュージックだ。



僕が何度かこのアルバムを聴いて連想したのはブルーハーツダウンタウンだ。特にダウンタウン松本人志が一番キレッキレだった時期のコントに「ミックス」というのがある。ビジュアルバム収録。抱腹絶倒。

このゲラゲラ笑いながら、ちょっと泣いちゃう感じ。このコントとか、後の槇原敬之との「チキンライス」(そして『Monochrome』)でも「貧乏」はダウンタウンの大きな共通のキーワードとなっている。僕がそうなのだが、ボンボンというのはボンボンなりに妙なコンプレックスを抱えていて、「何不自由ない自分に音楽を聴く資格があるのか」とかウジウジ考えていたりする。僕だって「貧乏って何?って考える/へこんだとこへこんだ分だけ笑いで/満たすしかなかったあの頃」とか言ってみたかった。ヘヴィーでファンキーな現実をタフにユーモアと愉快な仲間と類稀な才能で生き延びる(生き延びた)人たち、例えば松本人志西原理恵子、そしてKOHHのような人たちはそんな観念的で矮小なコンプレックスを刺激しまくる。


『Monochrome』内でも屈指の名曲「貧乏なんて気にしない」。心音とピアノをフィーチャーした感傷的なトラックに乗せて、KOHHはこんなラップをする。


だから貧乏なんて気にしない
何もないところからここまで来たのも自分次第
でも周りの人達がいなけりゃ俺もここにいない
昔からよく言ってるお金よりも愛
分からない
とりあえず俺は貧乏なんて気にしない
貧乏なんて気にしない


やっぱり将来は高級車にも乗りたい
真っ白なベントレーに乗っても初心忘れない
友達たくさん呼んで庭付きの家でハウスパーティ
嫌なこと考えるよりもお酒を飲んで酔っ払い
俺たちは貧乏な億万長者 笑ってる毎日
働いて稼いだ金を自由に使って
買いたい物を買ったら誰かにあげたい
貰ったらお返しをする ズルい損得はいらない
今でも最高なのにもっと超最高な未来

この曲におけるKOHHの「貧乏」に対するアンビヴァレントかつ豊かな感情に比べたら、僕の身勝手な羨望と優越感の裏返しのコンプレックスがいかに薄っぺらいものであるかを嫌でも痛感させられる。膝が笑う。打ちのめされるというのはこういう事だ。このアルバムのビートもラップも、とても乾いている。ニヒリズムに陥るでもなく、エモく自己憐憫にひたるでもなく、かといってサヴァイヴするために過剰に攻撃的であるわけでもない。カームダウンして「気楽に行こうぜ」と笑い飛ばすような乾きがある。そんな姿に僕はやはりダウンタウンをみる。シビアな現実認識とそれを乗り越えるユーモアは、ピースフルで感動的な最終曲『Love』にも顕著だ。

愛のあるセックス
ぶっちゃけ愛がなくても産まれる子供


肌の色とかで差別してる人まだいんの?
仲良くしろ馬鹿
絶望してから夢と希望
たまにディズニーランドとか行こう


立てるのは中指よりディック


かつて甲本ヒロトは、ロックとは豊かな白人による「飽食の果ての飢餓」の表現であると語っていた。なるほど、それは確かに僕にはおあつらえ向きだ。しかし、いつの間にか僕はロックよりもヒップホップにリアリティを感じることが多くなってきた。ギターからサンプラーへ。飽食から渇きへ。現実を生きる中で、言うべき言葉や、鳴らすべき事をもったミュージシャンの音楽へ。リアルよりもリアリティこそがリアル。そして、KOHHの『Monochrome』は今最もリアルなアルバムだ。たとえあなたが僕のようにヒップホップ・カルチャーから遠く離れた場所にいようとも、これは紛れもなく僕たちについてのアルバムであり、耳を傾ける権利がある。