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いまここでどこでもない

I can't give you all that you need ,but I'll give you all I can feel.

cero 『Obscure Ride』(Raw)

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『Obscure Ride』のサウンドへの言及に比較して、その作中で語られた事象についての言及は現時点では驚くほど少ない。そこで、このディティール編では今作で多用される【船】と【影】というモチーフと【砂漠】/【海】(と「都市」)という舞台が何を意味するのかを明らかにしながら、ある見立てを元に『Obscure Ride』を紐解いてみたい。


言うまでもないことだが、文章や映像ではなく、音楽によって語られる「物語」はストーリーではなく正確にはナラティブと訳されるべきものだ。つまり『Obscure Ride』で語られた物語を生成するのは語り手ではなく、音楽を聴いているあなた自身であり、このテキストはあなたが物語を紡ぐその一助に、願わくば航海における地図や羅針盤のような存在になればいい。


『Obscure Ride』には2つのキーワードがある。【記憶喪失者】と【越境】だ。


まず【記憶喪失者】については、一昔前にレディオヘッドがリリースした双子アルバムからその話を進めよう。(『Obscure Ride』でも兄弟/兄妹は重要なキーワードとして扱われる。高城晶平が「Orphans」を作曲するきっかけとなったエッセイ参照。)恐らく2000年以降最も多くが語られたアルバムのひとつであろう『Kid A』、そして「記憶喪失」を意味する『Amnesiac』。その相互関係については多くの解釈が存在するだろうが、ここでは以下のような解釈を採用しよう。『Kid A』とは約束を交わすアルバムであり、『Amnesiac』とは約束が果たされるアルバムである、という立場だ。


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You're living in a fantasy world
This beautiful world I'm the first in the Irish Sea
Another message I can't read


君は空想の世界に生きている
アイリッシュ海で最初にみつけた美しい世界
メッセージが来たけど僕には読めない

(In Limbo)

I will see you in the next life

来世で会おうね

(Motion Picture Soundtrack)


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And we all went to heaven in a little row boat
There was nothing to fear and nothing to doubt

僕たちはみんなして小さなボートで天国に向かった
怖いものも疑いも何もなかった

(Pyramid Song)

There are doors that let you in
And out
But never open
But they are trapdoors
That you can't come back from

出入りできるドアがある
しかしドアは開かない
そして落とし穴がある
そこからは戻ってこられない

(Pull / Pulk Revolving Doors)


この2枚のアルバムの世界はトム・ヨークが「意識的な記憶喪失の歌」であると説明する「Morning Bell」/「Morning Bell/ Amnesiac」という2つの変奏によって接続される。「来世で会おうよ」と言い残し睡眠薬自殺した主人公は、ベルの音によって転生した世界に記憶喪失状態で目覚め、交わした再会の約束は気付かれない形で果たされてしまう、という物語を読み取るのは無理筋ではないだろう。ファンの間では有名な話だが「Motion Picture Soundtrack」にはスタジオの段階でカットされてしまった、とてもセンチメンタルなヴァースが存在する。

Beautiful angel
Pulled apart at birth
Limbless and helpless
I can't even recognize you

美しい天使
生まれた時に引き裂かれた
手足がなくて何もできない
僕は君に気付くことすらできない


さて、今から極めて乱暴な見立てを行ってみる。ceroの『Obscure Ride』における【海】を『Kid A』(=約束を交わす場所)だと、【砂漠】を『Amnesiac』(=約束を果たす場所)だと、いくつかの楽曲やガジェットを「Morning Bell」だと、そして最終曲「FALLIN'」を「Motion Picture Soundtrack」の失われたヴァース(とその続き)だと、見立てるとする。


【記憶喪失者】と並び、このアルバムのキーワードとなる【越境】という概念について次は話そう。『Obscure Ride』には【海】でも【砂漠】でもない舞台、要は音楽を聴いている僕らが住む現実=「都市」というフィールドがちゃんと用意されている。(素晴らしいと思う。しかし今作までもシティ・ポップと乱暴にカテゴライズされてしまうのは、この周到な舞台設定が故だろう。)アルバムの登場人物たちは世界の境界を、睡眠薬で自殺せずともちょっとした「きっかけ」(=「Morning Bell」)を発端としてひょいひょいと【越境】してゆく。その境界線の曖昧さ(Obscure!!‼︎‼︎)がこのアルバムの物語を豊かで複雑なものにしている。


作中で最も「都市」を象徴する(「都市」に留まっている)のは間違いなくアルバムに先駆けて発表された「Summer Soul」だろう。

単体でこの曲を取り上げるなら、「2015年の夏を彩るメロウでサマーブリージングな大名曲♡」の一言でも十分だが、耳をすませると「天気雨」や「見たことない夕暮れ」といった【越境】のきっかけとも取れるフレーズがこっそりと忍ばされている。


次いで頻出する【影】というイメージについてだが、結論から先に述べると、『Obscure Ride』の世界では【越境】すると【影】を失う村上春樹作品よろしくユング心理学からこの【影】を分析するのも非常に興味深いが(そういえば影が登場する「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も「越境」についての物語だ)、このテキストでは単純にそのような舞台装置として扱うことにする。


最後の事前準備として、【船】というモチーフから再び【砂漠】/【海】というイメージについて考えてみる。それにはまず、前作『My Lost City』まで(厳密には「21世紀の日照りの都に雨が降る」まで)遡らなければならない。


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「21世紀の日照りの都」に降り始めた大雨がやがて洪水となり、街も人も希望も何もかもを呑み込んでしまう。【海】に沈んだ街(=「My Lost City」)に花束を投げる(=約束を交わす)「水平線のバラード」から始まり、「現実が想像力に影響を与えるだけでなく、想像力も現実へと侵食し影響を与えるのだ」という畏怖に近い違和感を語る「わたしのすがた」でアルバムは幕を閉じる。『My Lost City』は3.11以降の想像力が生み出したディストピアを描くと同時に、その想像力に対する責任と清算を巡るメタ的な構造をもった傑作であった、と少々乱暴にレジュメしてしまおう。

水面は淡くなり 泡ははじけ パラソルの色は遠く
偽物の花を買い 海に投げて 見えなくなるまで手を振る
海の底まで潜り 何か掴む 色とりどりの水中花
誰かが手を振った 手を振りかえす 花びらは水を滴らせた

(水平線のバラード)

マイ・ロスト・シティー
あの日遠くから見ていた東京タワー登り眺めたこの街に違和感
なにもかわらんとこが何より不気味で Feelin' down

(わたしのすがた)



『Obscure Ride』に登場する【船】というモチーフの正体は、街が洪水に呑み込まれる場面で伴奏された「Contemporary Tokyo Cruise」に登場するノアの方舟としての幽霊船であり、その幽霊船を【砂漠】に座礁させる場面(「Yellow Magus」)からアルバムの物語は始まる。つまり『Obscure Ride』は『My Lost City』で清算しきれなかった責任、つまり幽霊船の乗組員と【海】で交わした約束を果たす為、なぜか【砂漠】に座礁せず「都市」に転生した【記憶喪失者】が【越境】するストーリーである、とここでは結論付けることにしよう。


約束が果たされる場として【砂漠】が選ばれた理由については、インタビューでの荒内祐の発言がそのヒントになるかもしれない。

荒内 (安部公房の『砂の女』では)砂漠を閉塞的な現代社会のメタファーとして扱っていると思うんですけど、そういう場所で何か新しいことを始めるには魔術的にならざるを得ない。「Yellow Magus」のMagusはMagicの語源で、ceroがブラック・ミュージック的なアプローチを試みることにしても、僕たちはもともとそういった出自ではないし、素養もないから、やっぱり、魔術の力を借りるしかないなと。


ふぅ。すっかり前口上が長くなってしまったが、以上に提示した解釈と見立てに則りながら『Obscure Ride』の物語へとアプローチしてみよう。

1. C.E.R.O

誰もがディアンジェロ『Black Messiah』を連想せずにはいられない演奏、その同時代性にまず震えてしまう。揺らいだ、いや、Obscureなグルーヴが破格にかっこいい。

歌詞の内容は物語が始まる前の、アルバムのエピローグ的なものとなっている。舞台は【砂漠】、その果てに位置する日照りの都で開かれている酒場、そこから誰かが辺境の向こうにいる【記憶喪失者】に「約束忘れちゃいないかい?」とサインと祈りを送り続けている。

見逃すなサイン 送れ祈りを 無茶な約束が果たされるまで
今もわたしの耳に呼びかけ続けている?

そして誰かが境界線を越えた電話をかけ、それは偶然「都市」にある「Roji」という名のバーに繋がる。

2. Yellow Magus (Obscure)

アルバム全体のトーンに合わせ、シングルver.に抑制を効かせたアレンジと反復するグルーヴがチルした高揚感を生み出してゆく。仄暗い舞台の幕がそっと上がってゆくようなイントロは何度聴いても鳥肌。

【海】から来た【船】が【砂漠】へと座礁する場面。この『Obscure Ride』という物語の始まり。

3. Elephant Ghost

舞台は「都市」、しかし【砂漠】との境界線はObscureになっている。【影】を持たない【越境】したGhostは【記憶喪失者】に地下鉄で砂混じりの手紙を渡し、彼が捨てたはずの手紙を持ち再び彼の前に現れ、そして消える。物語が確実に動き始め、プリミティブなアフロビートがその不安を煽る。

4. Summer Soul

舞台は再び安定した境界線を取り戻した「都市」。一曲を通じ【記憶喪失者】(である必要すら希薄だが)がひとつの世界内に留っている数少ない楽曲。しかし【越境】を誘う装置が歌詞だけでなく、サウンドにもこっそりと仕掛けられている。レコードの針音、そして車のキーが回転する音(まるで鈴の音みたい)が快楽的なノイズとなり、徐々に世界の境界線をObscureなものにしてゆく。もう溶けそうだよ。

【記憶喪失者】は車に乗り込み、深く息をする。長い旅が終わったかのように。

5. Rewind Interlude

【記憶喪失者】の時間だけが、少し巻き戻る。

6. ticktack

ATCQ「Electric Relaxation」をサンプリングしたトラックと人力ビートの相性のよさったら!気持ちよくて、ずっと聴いていたい。

時間軸が曲がり、【記憶喪失者】は突然のスコールに【海】の記憶を思い出しそうになる。そして彼は徐々に「都市」の生活に違和感を覚えはじめる。

群青の中に滲む一点の灯
また何か思い出しそうになったんだけど
…なんだっけ?とても大切なこと忘れている
色んな人に聞いてみる
僕の知ってるみんなはどこ行ったんだろう?
(さぁ…?)

そして再びObscureになった境界線を【越境】し、影のない人々は「都市」へ紛れ込んでゆく。時計の針は逆回転し続け、物語の進行方向も【砂漠】から【海】へと逆流してゆく。

7. Orphans

サウンドも歌詞も100点満点な大名曲。鉄板のリズム隊にフィッシュマンズを、ソウルフルだけどフラジャイルな声とホーンに小沢健二を、どうしても連想せずにいられない。そのまま優れたジュブナイル作品として成立しそうな歌詞を、その蒼いフィーリングを少しも損うことなくソウル・マナーに則ったメロディーに乗せる高城晶平の天才的な節回しと発声は、もはや孤高とも呼べる高みに達している。

舞台は「都市」、登場人物は同じ学校に通う2人の【記憶喪失者】。彼と彼女は【船】でなくオートバイで、そして【砂漠】ではなく【海】へと向かう。(「火」曜日から「水」曜日へ。)この曲では境界線はむしろ強化されており【越境】することはできない。『Kid A』/『Amnesiac』で再会の約束は果たされてもその存在に気付けなかったように、【海】では兄妹だった2人の【記憶喪失者】はそのことを思い出せずにそれぞれの帰路につく。交わした約束はまだ果たされることなく、夏の青空のような晴れやかな悲しみだけがそこに残る。淡い予感を抱えて弟は「都市」へと戻るが、姉は【海】の辺境に留まることを選ぶ。

8. Roji

舞台は「都市」にある「Roji」というバー。そこに【砂漠】から【記憶喪失者】へと電話(=(Morning) Bell !!)がかかり、境界線は限りなくObscureになる。楽曲のテクスチャーも冒頭の「C.E.R.O」とよく似たものとなっている。

新しい日々のはじまり 感じとっているはず
狂える夜のはじまり 繰り出したくなる どこかへ

今宵繰り出すためには色々な要素が足りてない
目下の問題をクリアしないかぎり 海にも砂漠にも行けやしないだろうな
風に乗ってやって来た焚火のフレイヴァーにフィードバックした記憶で
ハイになった脳みそが溶けてゆく

(ここでPhone call)

乱暴に取った受話器から聞こえた不気味な風の音
すぐ通話途絶えて背すじも冷えたし
開け放ってた窓もそろそろぼちぼちいい加減に閉めようか…

新しい日々のはじまり 感じとっているはず
どこか別の世界での約束 どうしても思い出せない

予感と不安を抱えながらも【記憶喪失者】は「都市」に留まろうとするが、【砂漠】からの電話に背筋を凍らせ、Obscureな境界線の暗喩である「開け放っていた窓」を閉めようとする。電話の前後で「新しい日々のはじまり 感じとっているはず」というラインが全く異なる意味をもつ、という仕掛けが非常にテクニカル。【記憶喪失者】は約束を交わしたことをはっきりと思い出し、物語が確実にドライヴしてゆく。

9. DRIFTIN'

舞台はまだ【都市】に留まっているが、「C.E.R.O」よりも遥かに高い場所から世界を俯瞰した【記憶喪失者】のモノローグともとれる内容である。小沢健二が歌う所の「穏やかな止まらない法則」に、または「その大きな手」に、川本真琴が歌う所の「ドーナッツのリング」に、YUKIが歌う所の「大きな何か」に動かされる/触れることについての、ポップミュージックの形を借りた信仰告白。つまり、cero流のゴスペルミュージック。

生き物たちのうえ見降ろす 誰かの影がおちて
みな眠りに就いてしまうのさ
そしてこの星のうえ漂う かたちなきものを吸いこんで
大人たちはまたいくつかの思い出を捨て去っている

この街のうえにおちる 巨大で優しいまなざしに
子どもたちは気づいている それが誰なのかにも

10. 夜去

シングルで単体で聴いたときは、一体何について歌っているのか理解できなかったが、今ならはっきりと分かる。この曲は【越境】のサウンドトラックとして配置されている。「夜去」という聞き慣れない言葉の意味について尋ねられ、高城晶平はインタビューでこう答えている。

高城 "夜去"は、夕方って意味で、宵の口――夜の始まりなのに、"夜が去る"と書くんですね。その、夜が深まっていくにつれて、同時に遠のいてもいくんだという表現の仕方は、時間をループで捉える日本/アジア独特の感覚に基づいているのかなと思うんですが、それが、「Orphans」で描いたような転生とも重ねられるなと思って、シングルに入れようと。

時間軸は効力を失い、円環状になり、境界線が取り払われる。(「Elephant Ghost」でも「ticktack」でも「Roji」でも、時間軸がObscureになる度に境界線もObscureになっている。)「夜去」の時、【越境】を試みた【記憶喪失者】は影がない幽霊と口づけを交わし、導かれるように【砂漠】へと足を踏み入れる。

11. Wayang Park Banquet

夢からの目覚めのような甘美なストリングから、異国情緒溢れる演奏へと一気に雪崩れ込む。ここではないどこか。舞台は【砂漠】のストリップ劇場、「Wayang Park」(「Wayang」(ワヤン)は影を意味するインドネシア語)。繰り広げられる乱痴気騒ぎ。そこで【記憶喪失者】は気付く、自分に【影】がないことを。【越境】に成功したのだ。

スモークが消えて 次第に視界が晴れて気付く
なぜだか わたしのすがたに影がないことに

そんな彼にRainy Girlが呼びかける。

「まだ思い出せないの? hey,brother.」

Rainy Girl、そうだ、霧雨に気が狂いそうになった女の子、海をみて泣いたクラスメート。僕の姉。

しかし、【記憶喪失者】はまたそこで記憶を失う。

12. Narcolepsy Driver

歪なジャズ、ヒップホップ。エクレクティックな非黒人音楽。ここはどこだ?車の中、高速道路の上。この車は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズにおけるデロリアンのようなものなのだろうか。デロリアンは「過去」と「未来」を行き来するが、この車は「現」と「夢」を行き来する。境界線は限りなくObscureになっている(「窓全開」)。

【記憶喪失者】はRainy Girlとの邂逅後、言葉を交わすことなく車へと乗り込む。本来の世界である「都市」が朝を迎え、境界線がまた引かれてしまう前に戻らなければ。でもどうしてだろう、眠りたくない。そうだ、あの娘に会わなくちゃ、話さなくちゃ。まだ約束は果たされていない。ガム食え。目覚めろ。セイレーンよ去れ。あぁ、ダメだ、まぶたが下りる。おやすみ。夢のなかでまたね。ところで【砂漠】でみる夢はどこの世界の夢なんだろう?

13. FALLIN'

その後、ナルコレプシー・ドライバーはどうなったのか?可能性は少なくともふたつある。『Obscure Ride』にはふたつのエンディングが用意されている。ひとつは無事に「都市」に目を覚まし、「Summer Soul」の終わりへと合流する可能性。もうひとつは【砂漠】に留まることを選択する可能性。「FALLIN'」は後者の可能性を掬い上げている。

遊ぼう
夜を越えてどこかへ

行こう
夢のなかへ何度でも

「思い出せる…?」

白い陽の照りつける砂嘴渡れば
たちまち浜は瀝青となり
ビルは砂丘へと姿変える

身体なんて捨て去ってさ

遊ぼう
夜を越えてどこかへ

行こう
夢のなかへ何度でも

「思い出せる…?」

ぼやけたヴィジョン
ほんの瞬間の夢だから
すぐ忘れちゃうだろうけど

会えて本当にうれしかったよ

遊ぼう
夜を越えてどこかへ

行こう
夢のなかへ何度でも

街へ 森へ 海へ あの店へ

行こう
遠い夢の砂漠まで


「思い出せる…?」


「思い出せるよ。忘れるわけないだろう。」


このエンディングについては、野暮になるので深くは言及しないことにしよう。



さて、最後に余談を。僕がceroを聴き始めたのは前作『My Lost City』からの新参者で、アルバムについて書かれたこのエントリーを読んだのがきっかけだった。

それに倣って、というわけではないのだけど『My Lost City』が『ドラえもん のび太の魔界大冒険』だとしたら、『Obscure Ride』は『ドラえもん のび太の夢幻三剣士』なんじゃないか、という話を最後にしようと思う。

のび太の夢幻三剣士』は、「現実の世界に嫌気がさしたのび太が、ドラえもんの秘密道具「気ままに夢見る機」を使い、自分の好きな夢の中で遊ぼうとするが、謎の老人(トリホー)の予言の後に、夢カセット“夢幻三剣士”を入手する。のび太は夢の中で妖霊大帝オドロームの侵略に晒されるユミルメ国を救う白銀の剣士となり、冒険が始まる。」というストーリーで、実はこの「気ままに夢見る機」には「夢見る人の行動によって、それが現実世界にも影響を及ぼすほど強いパワーを持つ」という副作用(?)があり、オドロームを倒し夢から覚め、朝のび太が学校に向かうとこんなことになっていたという強烈なラストシーンが、『ブリキの迷宮』や『アニマル惑星』と並び、多くの少年少女に消えることのない深いトラウマを刻み込んだ怪作であります。


『My Lost City』並びに『魔界大冒険』が「想像力に対する責任」を巡る物語であったのに対し、『Obscure Ride』並びに『夢幻三剣士』は「想像力のもつ巨大な影響力」について扱った作品であると呼べるかもしれない。終曲「FALLIN'」は感動的なだけでなく、どこか涅槃に向かうような死の香りと不気味さが漂っているし、アルバムを通してのObscureな感覚は聞き手を不安定にさせる。藤子・F・不二雄の空恐ろしい天才的な画力に代わり、ceroは巨大な音楽的才能を総動員し、その想像力を現実へと侵食させる。


『Obscure Ride』を聴き終えたとき、あなたに影はあるだろうか?

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