いまここでどこでもない

I can't give you all that you need ,but I'll give you all I can feel.

2015年に聴く中村一義

先日、人生で初めてデモに参加してきた。この場合「参加」という言葉を、僕が忌み嫌っている「参戦」と置き換えてもきっと構わないのだと思う。僕はあの日、確かに腹を立てて、声を出しに、文句を言いにデモに加わった。特定の人物に敵意を向けた言葉を叫び、引きずり落とそうとした。勘違いしてほしくないのは、僕はその行為に何らかの負い目を感じたり、暴力の匂いを感じ取って狼狽えているわけじゃないってことだ。僕はあの日、正当な怒りを抱え、正当な言葉で、正当な訴えをした。少なくとも、そのつもりでいる。ただ、それでもやはり僕はデモに「参戦」したとは言いたくはない。戦争の匂いがするからとか、戦いを拒みたいからでもなく、至極単純な話、僕の実感にその言葉がちっともそぐわないからだ。


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デモで僕はある友人と5年ぶりに再会した。よう、と声をかけたものの、お互いなんだか気恥ずかしい。僕は彼とは政治の話はもちろん、どんな真面目な話もしたことがなかった。いつだって音楽か女の子の話ばかりしていた。とりあえず近況を報告しながら、デモについては「やってらんねえよな」とだけ呟いて、やっぱり音楽の話になった。「まだ中村一義とか聴いてる?」「最近また」「わかるかも、俺も」「ていうか、今日ここに来るときも聴いてた」「何を?」「ERA」「嫌いじゃなかったっけ」「うん、でもジャストだった」「それ、嫌な時代だな」「言えてる」、「やってらんねえよな」。あとは昔の彼女の話とか、スヌーザーとかロッキングオンの話とかを話してしばらく一緒に歩いた。今度飲みに行こうよ、なんてありきたりな挨拶を交わして別れる。別れ際に彼がひとこと。「俺もナカカズ聴きながら帰るわ」。やっぱり、よくわかってんじゃん。


僕はずっと彼の『ERA』というアルバムが苦手だった。キンキンしたサウンド・プロダクション、それまでの彼らしくない攻撃的なフィーリング。「ゲルニカ」という曲がその作風を象徴している。



死んだフリ…?
フリ?
なら、死ねよ


ヘヴィ・メッセンジャーとしての中村一義は、もちろん『ERA』以前の楽曲にもその姿を現している。「犬と猫」、「謎」、「魂の本」に込められた怒りや絶望は、おそらく「ゲルニカ」の比ではない。しかし、それらの感情は「あの声」と「あの演奏」によってマスクされていた。とうとう痺れを切らしてストレートな言葉で放たれ時、どういう訳か「魔法」は失われてしまった。「ゲルニカ」に巣食う安直さに対する嫌悪は、「参戦」という言葉に対する嫌悪と同種だ。「表現にとって最も大切なものは形式とニュアンスである」というスーザン・ソンタグの言葉に倣うのなら、どちらもその最も大切なものを放棄した表現のように僕は思う。要は手抜きであり、作家性の放棄だ。中村一義という音楽家には「あらゆる感情に歓喜のフィーリングを宿らせる」という巨大な才能が備わっている。中村一義の「どう?」という呼びかけは、扇動でも挑発でもなく武装解除の合図だった。そんな魔法が『ERA』では封印されてしまっているから、僕はあのアルバムがどうしても好きになれなかった。


それがどういうことか、最近は『ERA』ばかり聴いている。心から愛してやまない『太陽』はちょっと今はしっくりこない。最悪だ。もう悠長に「形式」や「ニュアンス」に拘っているような時代じゃないのだろうか?そんなことはない。SEALDsの存在がその何よりの証明だろう。いつしか僕は以前は気付けなかった魔法の存在を『ERA』に嗅ぎ取るようになった。クソにクソを塗るような笑えないようなことばっかな世の中で相対的に『ERA』にも魔法が宿された、なんてのは随分と都合がいい解釈かもしれないが、そうとしか思えない。


ジョン・レノンを聴くように、中村一義を聴く。ヘヴィ・メッセンジャーとして、愛と平和の使者として、最高のロックンロール・ボーカリストとして。彼らの作るレベル・ミュージックは闘争であると同時に逃走でもある。敵意/敵対を煽るだけではなくて、慈愛とユーモアが宿っている。僕が信じられるのはそんなギリギリに甘さを保った抵抗だけだ。どんな時も笑顔ににじり寄ること。それは、絶対、余裕じゃない。


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中村一義のスウィート・レベル・ミュージック10選


10. 世界の私から
(from『世界のフラワーロード』)

「抗菌の世に住む君へ」という少しドキッとする歌い出し。目を開けるように/外へと踏み出すようにリスナーを誘い出す、まるで春の日差しのような程よくアッパーなオープニング・トラック。ジョン・レノンから中村一義を経て、君へと渡されたバトン。


9. ウソを暴け!
(from『対音楽』)

「犬と猫」21世紀ヴァージョン、だと勝手に僕は思っている。言葉は随分と直裁的になり、演奏もすっかりソリッドになったことで失われたものも確かにある。しかしハイトーンな「どう?」には変わらず魔法が宿り、ひどく心を揺り動かされてしまう。荒野に痛みの雨は降り止まないけど、博愛さだけは忘れてしまわぬように。


8. Honeycom.ware
(from『OZ』)



「君が望むのなら、しな」という言葉は突き放しではなく、信頼の証だ。ソロではなくてバンド名義で発表されたことに、この曲の真意はある。複雑なリズムワークが織りなすティーンエイジ・シンフォニー。個人が個人のままで連帯できるという可能性と、その尊さについて。


7. 希望
(from『ALL!!!!!!』)

同じ世界は今日もないように
同じツラは今日もいないんだぜ
どうだい?どうしたい?
同じ時を越え
最後なんてないのに自ずからドン引くなって

陽性のパワーポップに乗せてこんな風に歌われたら、そりゃ否が応でもケツは蹴り上げらてしまう。楽曲は粒揃いなのに、音楽的なアイディアに乏しいアルバム内の唯一の名曲。


6. キャノンボール
(from『100s』)

バンド体制で発表された最初の一撃。前作『ERA』と同様、もしくはそれ以上に攻撃的な楽曲だが、バンドというリレーションシップを手にした悦びに包み込まれて極上のポップソングへと仕上がっている。「そこに愛が待つゆえに」というリリックに対する「嘘でも」(歌詞カードには未掲載)というニヒリズムはちょっと余計な気もするが、照れ隠しってことで!


5. 威風堂々(弾き語り)
(from『ジュビリー / 威風堂々』)

『ERA』に収録されているヴァージョンではなくて、よりシンプルなこちらを。余計な装飾が取り払われた分、中村一義のボーカルの鋭さと迫力が際立つ。全てを投げ出してしまうその一歩手前で踏みとどまるためのブルース。嘲りをぶちまける前に、絶望に飲み込まれてしまう前にまだ出来ることが残っている。


4. K-ing
(from『OZ』)

キング牧師に捧げられた100s流の人力ヒップホップ。寄せては返す波のような演奏も、コズミックなリリックも、中村一義のフローも破格に素晴らしい。「今日の本当は今日も『本当』を刺す」という本当。強い想いは、こんなにも静かにばら撒かれる。


3. ここにいる
(from『金字塔』)

孤独な「状況が裂いた部屋」で産み落とされたみんなのうた=アンセム

見えないし、行けない
けど、僕等、今、ここにいる
ほら、ここにいる


NOTHING TO SEE
NOWHERE TO GO
BUT WE ARE HERE NOW
HEY WE ARE HERE NOW


2. ハレルヤ(シングル・ヴァージョン)
(from『ハレルヤ/恋は桃色』)

祝福が人々の頭上に降り注ぐ様を、更なる高みから俯瞰する中村一義の最高到達点。ハードロック調のアルバム・バージョンよりも、ゴスペル風のこちらのアレンジの方が一兆倍感動的だ。Hallelujah!!


1.ジュビリー
(from『ERA』)

思い立ってすぐにスニーカーの紐を結んでいる時には、僕はこの曲を聴きながらデモに向かう事を決めていた。ブレイク・ビーツやサンプリングといったヒップホップの手法を取り入れた「ジュビリー」がリプレゼントするのは「集まる」/「声を出す」という行動だ。デモ、ライブ、パーティー、なんだっていい。人々が集まって声を重ねること。その行為はどれほど遠回りで、時に逆方向だとしても、「祝う」ためにその針を進めている。

Ducktails『St. Catherine』

麗しき新世代ギターロック・バンドの雄リアル・エステート、そのギタリストであるマット・モンダリルが率いるダックテイルズ。ソロプロジェクトといっても結成は2006年と、2009年に始動したリアル・エステートよりも歴史は古く、寧ろ彼にとってはホームとも呼べる存在かもしれない。彼らの5作目のアルバムとなる『St. Catherine』が先日、前作と同様に名門レーベルDominoからリリースされた。

St. Catherine/Ducktails
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リアル・エステートといえば何より特徴的なのが「ヒプナゴジック」(入眠的)と称されるアンビエントなギターサウンド。その立役者であるマットが中心となるバンドだけあって、ダックテイルズでは蠱惑的なギターが更に強調されている。まずはタイトルトラックでもあるこの曲を。



2014年屈指の傑作スティーブン・ステインブリンク『Arranged Waves』を連想させる流麗なアメリカーナ風のメロディが、同じく昨年リリースされた傑作マック・デマルコ(今作にもゲスト出演している)の『Salad Days』に漂うブルーなセンチメンタリズムを混じえながら、サイケデリックですらある激ドリーミーなサウンドで演奏されている。(そもそもリアル・エステートのフォロワーでもあり)デマルコのレーベル・メイトでもあるクラフト・スペルズ『Nausea』のようなソフトロックのテイストも感じ取れるが、一言で表現するなら、要は、単純に、そう、つまりは「最高」ってやつだ。このマット・モンダリルという男は、とにかく本当に曲が書ける。


Pitchforkに「ニュージャージーからこの少年を追い出すことはできても、この少年からニュージャージーを追い出すことはできない」と揶揄に近い評価を下されたように、彼は今だに過去の思い出に囚われている。リアル・エステートの『Atlas』が成長に伴う痛みについてフォーカスを当てたアルバムだったとしたら、この『St. Catherine』は反動のようにノスタルジアに耽溺している。このダックテイルズ(Ducktails)というバンドの名前自体がマットが幼少時代に夢中になったディズニー番組の「Duck Tales」から取られたものであり、まるでブライアン・ウィルソンが作ったインストゥルメンタルのような今作のオープニング・トラックが、そのディズニーのTVアニメシリーズの総称である「Disney Afternoon」と名付けられていることからも、『St. Catherine』がいかにチャイルディッシュな煌めきに溢れた作品であるかは想像に容易いだろう。メランコリックな2曲目「Headbanging In The Mirror」の歌詞をみてみよう、はっきりと退行の願望/意志が綴られている。

Headbanging in the mirror
Wish I could see so much clearer
Just let me come down from this speedy
Afternoon interior dream


In my late twenties
I flew to LA
Born in New Jersey
I drove on the highway
Working nine to five
I won't play that game
When you caught my eye
I wasn't the same


Now they're headbanging in the mirror
Now I can see so much clearer
Just let me come down from this speedy
Afternoon interior dream


Headbanging in the mirror
And I can see so much clearer
Don't ever let me come down from this
Afternoon interior dream



鏡の中にヘッドバンギングしている姿
もっとはっきり見えたらいいのに
今すぐ僕をこの午後の白昼夢から目覚めさせて


僕は20代後半にロサンゼルスに引っ越した
産まれたのはニュージャージー
高速道路を通り
9時5時の仕事をしている
もうゲームもしたくなくなった
君が僕を見かけたら
別人かと思うだろうね


今や彼らが鏡の中でヘッドバンギングしている
今の僕にははっきりと見える
今すぐ僕をこの午後の白昼夢から目覚めさせて


鏡の中にヘッドバンギングしている姿
僕にははっきりと見えている
もう僕をこの午後の白昼夢から目覚めさせないで



年内に新作がアナウンスされているジュリア・オルターをゲスト・ボーカルに招いた4曲目「Heaven's Door」(アルバムを締めくくる「Reprise」はこの曲の変奏)と9曲目「Church」。その曲名以上に神秘的な彼女の声が、その名がアルバムにも冠された聖女「アレクサンドリアのカタリナ」を自ずと連想させる。聖カタリナが最も崇拝されている聖人の一人とはいえ、何故マットがそこまで彼女に入れ込んでいるかは明らかにされていないが、敬虔というよりも寧ろ日曜日に教会に足を運ぶ子供のような素直な信仰に対する帰依を読み取ることも可能だろう。6曲目「The Laughing Woman」(聖カタリナのことだろうか?)の歌詞にその信仰心は告白されている。

Can you stop thinking life’s a joke
When you know everybody hurts?
Pretending everything’s just fine
Leaving your dignity behind



みんな傷付いている事を知ったなら
人生が冗談なんて考えはやめないかい?
全てが上手くいっている振りをすることも
尊厳を置き去りにすることも


今作をプロデュースしたロブ・シュナップフという人物の名前に聞き覚えはないだろうか。ベックヴァインズナイン・ブラック・アルプスなどを手掛けた売れっ子だが、最も有名なのはエリオット・スミスの共作者としてだろう。彼は『Either/Or』『XO』『Figure 8』といった傑作を共同でプロデュースし、楽曲によっては演奏にも参加するなど、まさに右腕として活躍した男だ。



晩年のエリオット・スミス作品のようなストリングス・ワークも見事だが、ギターの鳴りとドラムのプロダクションに関しても細部まで神経が行き届いているのが素晴らしい。そのことが『St. Catherine』を単なる白昼夢的なサウンド内に留まらせずに深い陰影を与えているのは間違いないだろう。


子供の頃の夏休み。毎晩夜更かしし、昼前に起きてはテレビを付け再放送のアニメを観るような、そんなだらしない生活を送っていたのはきっと僕だけじゃないはずだ。アニメも終わってしまい、くだらないワイドショーしかやってなくて暇を弄んでいた夏の午後。あのなんとも退屈で甘美な時間の流れを僕はこのアルバムに感じ取ってしまう。『St. Catherine』はまるで夏の青空のようなアルバムだ。そしてその青はきっと、まだセックスも何も知らなかったあの頃に見ていた夏の空の、あのブルーだ。


Tame Impala『Currents』

奇妙な作品だ。少なくともテーム・インパラのパブリック・イメージであるサイケ・ロック/ギター・ロックの範疇からは大きく逸脱したアルバムだ。昨年リリースされたハウ・トゥ・ドレス『What Is This Heart ?』を連想させる、ソウル・ミュージックへの接近。インディーR&Bとテンプルズに代表されるネオ・サイケデリック・ムーブメントを横断する大傑作、という謳い文句も有効かもしれないが、どこかしっくりこない。音楽的な達成を抜きにしても、繰り返すが『Currents』はとても奇妙な作品だ。「世界はくだらないから/ぶっとんでいたいのさ」とでも言いたげだったかつての彼と違い、現在のケヴィン・パーカーは「世界でなんとかやっていく」事を目指している。その結果、彼は世界から蹂躙され、疲弊し、傷付き、敗北する。音楽はとても甘いのに、通底するフィーリングはとても苦々しい。その乖離に防衛機制を見出すことも可能だろうが、単にマゾヒスティックな悦びにも思える。アウトサイダーが外側に留まったままではなく、彼ら/彼女らが内側へ侵入する事で生じる軋轢、摩擦熱、歪。ドロップ・アウトではなく、ドロップ・インするアウトサイダー・アート。それらが同時代的な音楽に変換され、傑作になり得ることは『In Utero』が、『OK Computer』が、『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』が既に証明している。『Currents』がそれらに連なる痛々しい傑作であることは間違いないだろう。


Currents/Tame Impala 2015
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After two Tame Impala albums that centered on Kevin Parker's withdrawal from society, he has entered the stream of life on Currents. And he's lonelier than ever. The bemused, occasionally melancholy isolation that defined Innerspeaker and Lonerism has metastasized into heartbreak, bitterness, regret—feelings that can actually kill you if left untended. This is a breakup record on a number of levels—the most obvious one being the dissolution of a romantic relationship, but also a split with the guitar as a primary instrument of expression and even the end of the notion that Tame Impala is anything besides Kevin Parker and a touring band of hired guns. Because of these shifts, the question of whether Currents is better than his first two albums is beside the point: it stands completely apart.


ケヴィン・パーカーの厭世観が色濃く反映された2枚のアルバムを発表した後に、彼は「現在」(=Currents)の社会の渦中に合流し、孤独はより一層深くなった。『Innerspeaker』『Lonerism』で描かれたあやふやで気まぐれで物憂げな「孤立」は今作では、まるで放っておけば実際に命を奪いかねないストレス性心筋炎のような後悔や、苦々しさや、傷心へと悪性化している。この『Currents』というアルバムは別離についての、しかも恋愛関係の破綻といった最も分かりやすいもの以外に、初期衝動の表出としてのギターという楽器との別れや、テーム・インパラというバンドがケヴィン・パーカーと共にツアーをする腕利き達とのバンドであるという認識の崩壊まで、実に様々な段階の別離についての作品となっている。これら3つの要素によって『Currents』は「前作、前々作に比べたらどっちがいい?」という問いかけを無効化するほど決定的に毛色の異なるアルバムになった。とにかく、全く「違う」のだ。

Parker has never minced words about his intentions, and there's a song here called "Yes I'm Changing". The music communicates even more clearly: Currents' opening salvo "Let It Happen" has barely any audible guitars and makes ingenious use of a passage where it sounds like a half-second loop is accidentally stuck on repeat. It's a despairing, open-ended psych-disco hybrid whose closest modern analog is Daft Punk's Random Access Memories—a record that cast disco, yacht rock, and dance pop as shared founts of old-school, hands-on music-making. In this sense, the album reimagines and expands Tame Impala's relationship to album rock—like Loveless or Kid A or Yankee Hotel Foxtrot, it's the result of a supernaturally talented obsessive trying to perfect music while redefining their relationship to album-oriented rock. There's more care and nuance put into the drum filtering on "Let It Happen" than most bands manage in an entire career of recording.


ケヴィン・パーカーは彼の意図する所について決して話さなかった、そして、このアルバムには「そう、僕は変わったんだ」という曲が収録されている。彼の音楽そのものがいつになくはっきりと話しかけてくる。アルバムの口火を切る「Let It Happen」ではギターは辛うじて聴こえる程度の音量でしかなく、0.5秒のループが偶然繰り返されるような独創的な音色で鳴らされている。そのやけっぱちで無制約なサイケデリック・ディスコに最も近いのはディスコ、ヨット・ロック、ダンス・ポップを総動員してオールドスクールだけど実践的な制作スタイルを確立したダフトパンク『Random Access Memories』だろう。そういう意味でこの作品は『Loveless』/『Kid A』/『Yankee Hotel Foxtrot』といった「ロックとアルバムの関係性」を再定義しながら異常なまでの才能を費やして音楽を完成させていった成果としての「ロックアルバム」とTame Impalaとの関係性を再考し、拡張するものでもあるだろう。古今東西のあらゆるバンドのレコーディングよりも更なる注意とニュアンスが「Let It Happen」のドラム音へのフィルターについて注ぎ込まれている。


Currents is the result of many structural changes, most of which exchange maximalist, hallucinatory swirl for intricacy, clean lines. As we knew from "Elephant", the song that Parker sheepishly admitted "[paid] for half my house," Parker is good at writing catchy, simple guitar riffs. But he’s also somehow the best and most underrated rock bassist of the 21st century, and it’s not even close on either front. The near total absence of guitars means there is nothing remotely like "Elephant" here. But this allows the bass to serve as every song’s melodic chassis as well as the engine and the wheels: "The Moment" actually shuffles along to the same beat as "Elephant", though it's a schaffel rather than a trunk-swinging plod, its effervescent lope and pearly synths instantly recalling "Everybody Wants to Rule the World" or even Gwen Stefani and Akon's "The Sweet Escape". "The Less I Know the Better" merges Thriller's nocturnal, hard funk with the toxic paranoia of Bad.


『Currents』は多くの構造的な変化の産物でもある。その最たるものがケヴィン・パーカーのマキシマリズムが乱雑さへ、蠱惑的な詩が明確な歌詞へと換骨奪胎されている点だろう。気恥ずかしそうに「自分を半分は曝け出した」と認めた名曲「Elephant」で、彼がキャッチーな曲を書いたりシンプルなギターリフを弾くのが得意なことは証明されている。しかし同時に、彼は21世紀で最も過小評価されている最高のロックベーシストでもあり、過小な評価も実力も見過ごされている。ほぼ完全な「ギター」の不在が意味するのは「Elephant」みたいな曲はこのアルバムには存在しないってことだ、微塵たりとも。このことにより、ベースがエンジンとなりタイヤとなりメロディーの基礎を支える役割を果たしている。「The Moment」におけるシャッフルのリズムは「The Elephant」に等しいものだが、しょぼしょぼと歩くようではなくウキウキするようなリズムだし、快活に跳ね上がり明るくくだけたフィーリングは即座にティアーズ・フォー・フィアーズ「Everybody Wants To Rule The World」グウェン・ステファニー・アンド・アコンの「The Sweet Escape」を思い起こさせる。作中の「The Less I Know The Better」はマイケルの『Thriller』の闇や『Bad』の毒々しく偏執狂的なハード・ファンクにしっかりと溶け込んでいる。


And make no mistake, Parker is writing pop songs here, and doing them justice. During the lead-up to Lonerism, he claimed he wrote an entire album of songs for Kylie Minogue and had to stress he wasn't joking. Perhaps appearing on one of 2015's biggest pop records inspired him. Either way, the external or internal pressure to keep his pop impulses at bay are gone.


間違いない。彼は今回のアルバムで「ポップ・ソング」を書いているのだ。そしてその「正しさ」を立証しているのだ。前作『Lonerism』について、彼はあのアルバムの曲は全てカイリー・ミノーグのために作ったと主張し、冗談ではないと強調していた。もしかしたらマーク・ロンソン『Uptown Special』という2015年最大のポップアルバムが彼にインスピレーションを与えたのかもしれない。なんにせよ、彼を「ポップ」に向かうことを抑制していた内外の圧力は消え去った。

Nearly every proper song on Currents is a revelatory statement of Parker’s range and increasing expertise as a producer, arranger, songwriter, and vocalist while maintaining the essence of Tame Impala: Parker is just as irreverent working in soul and R&B as he is with psych-rock. "Nangs" and "Gossip" function as production segues, pure displays of "How'd he do that?" synth modulation that prove Parker sees himself as a friendly rival of Jamie xx rather than someone who sees a strict DJ/"musician" binary. While the sitar-like frill on "New Person, Same Old Mistakes" has hints of shimmering Philly soul, there's also engagement with the dubby textures and repetitive melodies of purple R&B. And for good measure, there's a bridge where Parker makes a modern studio take sound like a forgotten, vinyl breakbeat and drops it mid-track like a jarring DJ transition—a trick most effectively used on Yeezus' "On Sight" and "I Am a God".


『Currents』のほぼ全ての曲が、テーム・インパラとしてのエッセンスは残しつつもプロデューサー、アレンジャー、ソングライター、そしてボーカリストとしてのケヴィン・パーカーの専門性とレンジの広さを啓示的に宣言している。彼はサイケ・ロックのボーカリストとしてだけでなく、ソウル/R&Bシンガーとしても不遜な振る舞いをみせている。また、「Nangs」や「Gossip」におけるプロダクションはスムースに「How'd He Do That ?」の調律された抑揚へと移行し、そのスムースさは彼が自身をジェイミーXXを良きライバルとして見なしていることを証明している。「New Person, Same Old Mistakes」におけるシタールのような効果音はフィリー・ソウルの影がちらつき、Purple R&Bの単調なメロディーやダビーな質感への関連性もみられる。おまけに、彼は現代的なスタジオでブレイクビーツのレコードのような忘れ去られたサウンドをDJの耳障りな転調のようにトラックに落とし込むという離れ業もきめている。そうカニエ・ウェスト『Yeezus』「On Sight」「I Am a God」で使用し、強烈な印象を与えたあのトリックだ。

While Parker will never not sound like John Lennon, this time, he imagines a fascinating alternate history where the most famous Beatle forsakes marriage and the avant-garde for "Soul Train" and Studio 54. On Innerspeaker, Parker's melodies were effectively smudged with reverb and layering—once drawn with charcoal, now they're etched with exacto knives. As a result, the singles on Currents could be covered by anyone, and Parker has advanced to the point where he can write and sing an immaculate choral melody on "'Cause I'm a Man" and have it sound like a soul standard.


ケヴィン・パーカーがジョン・レノンという人物に似ても似つかなくとも、彼は「ジョン・レノンがもし結婚生活もアヴァンギャルド趣味もかなぐり捨て「Soul Train」のようなディスコに接近したら」というifを体現しているのだ。『Innerspeaker』において、彼の書くメロディーはリヴァーブと層状のサウンドが織りなす効果的な「染み」のようなものだった。彼のメロディーはかつてはそんな木炭で書かれた淡いものだったが、今やそれはカッターナイフで刻まれたようなしっかりとしたものとなっている。結果として『Currents』に収録された楽曲は誰にでもカバーできるが、彼自身は「Cause I'm A Man」における清廉なメロディーを書け、しかもそれをソウル・スタンダードのように歌える地平にまで達している。

"'Cause I'm a Man" also puts Parker's personal life front and center in a new way. The chorus ("I'm a man, woman/ Don't always think before I do") finds him in league with Father John Misty's I Love You, Honeybear and My Morning Jacket's The Waterfall, taking an unsparing and often unflattering look at masculinity and romance, examining what qualifies as biological instinct and what qualifies as mere rationalization for wanting to fuck around and/or be left alone.


「Cause I'm A Man」はケヴィン・パーカーという人物の私生活を新たに中心に据えた楽曲となっている。コーラス部分の「僕は男、女/僕が動くまでどちらかを判断しないでくれ」という歌詞は、「男らしさは単なる生物学的な本能だし、恋愛は単なるセックスや孤立の欲求の自己弁護すぎない」という無慈悲で冷徹な視線を持ち、ファザー・ジョン・ミスティー『I Love You, Honeybear』やマイ・モーニング・ジャケット『The Waterfall』と共鳴している。


The emotional power of Currents comes from its willingness to accept that relationships will expose an introvert's every character defect. Parker's lopsided inventory is revealed on "Eventually", which exposes the false altruism often used to justify "it's not you, it's me." The structure of the chorus ("But I know that I'll be happier/ And I know you will, too/ Eventually") makes it plain that it's always about me first. And even if Parker honestly wishes eventual happiness for "you," he wants it to arrive on his schedule. On "The Less I Know the Better", he calls out an ex's new lover by name and plots his empty revenge (his "Heather" to her "Trevor"). By the next song ("Past Life"), Parker passes her on the street and considers giving her a call not because he cares or wants to get back together, just because he can. He fools himself into thinking a new routine of picking up dry cleaning and walking around the block, which he enumerates in a mumbled, pitched-down monologue, constitutes a new existence, but it's all part of the same continuum.


人間関係が内向的な精神の汚点を浮き彫りにしてしまう、という事実を認めようという意志が『Currents』の感情的なパワーの原動力となっている。ケヴィン・パーカーの偏った目線が「Eventually」で暴露されている。この曲では「悪いのはあなたじゃなくて私なの」という捨て台詞を正当化してしまう誤った利他主義を炙り出す。「だけど僕は知っている/僕はより幸せになるだろう事を/そしてやがて君もそう気付くだろう事も/結局、最後にはね」というコーラスは人間は結局は利己主義である事を示し、たとえ他者の幸福が訪れることを心から祈ろうとも、所詮は自分の思い描いたタイミングで訪れて欲しいだけなのだ、と吐き捨てる。「The Less I Know The Better」では彼は元恋人の恋人を名指しで呼び付け、空虚な復讐を敢行する。

Someone said they live together
I ran out the door to get her
She was holding hands with Trevor
Not the greatest feeling ever
Said, "Pull yourself together
You should try your luck with Heather"
Man I hope they slept together
Oh, the less I know the better
The less I know the better


彼女が男と住んでるって誰かが言っていた
僕はドアを飛び出して彼女に会いにゆく
彼女はトレヴァーという男の腕にしがみ付いていた
最悪の気分だ
僕は言った
トレヴァーさんよ、しっかりしろよ。俺のヘザーって女をあてがってやるよ」
トレヴァーとヘザーが寝りゃいいんだ
ああ、知らなきゃよかった
知らなきゃよかったよ


次の「Past Life」では彼は道で彼女とすれ違い、彼女に電話しようかと考える。心配だとかヨリを戻したいとかじゃなくて、単に「電話できるから」という理由で。彼は自分を騙して乾燥機から洋服を取り出したり街をぐるぐる歩いたりといった新たな日課を考えることに没入し、そのことをうわ言のようにピッチを下げた声で独白する。そうする事で新たな存在になろうとする。

I was picking up a suit from the dry cleaners
Which was standard for me
Thursday, 12:30, I got a pretty solid routine these days
I don't know, it just works for me
Anyway, I was leaving I was getting in my car
And I went to adjust the rearview mirror, but in its reflection
Just for a second, I saw a figure, started to trigger
Memories of what I had learned, stopped me in my tracks
Who was that? it was my lover, my lover, from a past life


僕は乾燥機からスーツを取り出す
それが僕の日常
水曜日の12時30分 最近固く守っている日課がある
理由はわからない しっくりくるんだ
とりあえず家を出る 車に乗り込み バックミラーを調整する
するとミラーに何かが映る
その瞬間 記憶が蘇る
かつての記憶 僕は立ちすくむ
あれは誰?
あれは恋人
僕の前世の恋人


でも、それは連続する時間の一部分に過ぎない。

Currents could be called a "transitional album," but what Parker seems to realize is that all albums should be so named, because life is transitional. This is why "Let It Happen" leads off Currents rather than serving as its climactic laser-light show. It's a dazzling, impossibly intricate song about resisting the temptation to micromanage your life. And it may be a companion piece to "Feels Like We Only Go Backwards". Notice that Parker presciently phrased the lyric with we—whether it's about a partner, a fanbase, or just the construct of one's self, there's always the tendency to seek comfort and stability rather than dealing with the dissonance between two entities that are inevitably subject to changing at different frequencies. The kicker was even more prescient—"Every part of me says, 'go ahead'." And so Currents ends up being Parker's most convincing case for solitude yet—he knows that perfection can only be achieved inside the studio and progress is the ultimate goal outside of it.


『Currents』は移ろいのアルバムと呼べるかもしれない。だが、ケヴィン・パーカーは気付いているようだ。あらゆるアルバムがそうと呼べるのだと。だって、人生が移ろうものなんだから。あの曲がド派手なクライマックスではなく冒頭に配置された理由はそういう事だ。信じ難い程に作り込まれた眩い「Let It Happen」。あの曲は人生を統制せんとする欲望に抗うことについての歌だ。それは、かつての「僕らは逆行している気がする」という感覚と対になるものかもしれない。彼が書いたリリックに注意しよう。パートナー、ファン、あらゆる人間関係。そこでは安定や心地よさを求めることが、どちらかの周波数に合わせざるを得ない「実存と実存」という関係で生じてしまう不協和音に対処することよりも優先される傾向がある。そのことを彼は詩の中で予見していた。しかし、極め付けのラインは更に予見に満ちたものだ。

Every part of me says, 'Go Ahead'


僕の全細胞が呼びかける
「前進せよ」



『Currents』は結局、ケヴィン・パーカーの最も確信めいた孤立で幕を閉じる。彼は知っている。完璧とはスタジオの中でしか達成されないと。そして、前進というゴールはスタジオの外にしか存在しないと。